天一神社(式内 天一神玉神社)

      2017/01/21

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概 要

社 号 天一神社
読み:てんいち
延喜式神名帳 式内社 播磨国佐用郡 天一神玉神社
読み:
所在地 兵庫県佐用郡佐用町東徳久1644
旧地名 播磨国佐用郡
御祭神 天御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)
例祭日 1月2日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
佐用郡(サヨ) 2座(並小)

近代社格制度  無格社
創建    年代不詳
本殿様式  切妻造トタン葺

境内摂末社(祭神)

一口メモ

日没近くで探しているうちに鳥居前まできたら柵がしてあり坂道を登らなければならず、暗くなってきたので神社までは上がらず。小さな祠が見えた。その奥へ進むと小さな社殿があるらしい。あとでわかったが、母方の先祖はこの近くがルーツらしく、30年前にすぐ近くの中島に、赤松氏家臣中島家の中島砦という場所に行ったことがあった。

歴史・由緒等

天一神社

天一神社由緒 東徳久字西間村鎮座
祭神 天御中主大神
この神社は今より約二千年前(彌生時代)に創立された日本でも最古の神社で寶剣(銅剣)が御神體なるは天智記に「安置御宅」記され延喜式神名帳をはじめ多くの古書に登載され有名である。尚奈良東大寺戒壇神名帳に「天一天白中頭天王」と天一神のことが登載されている。
・延喜式神名帳に曰く
「播磨国佐用郡二座佐用比賣神社、天一神玉神社」
・播磨鑑に曰く
「天一神社は柏原郷東徳久中馬村と云う所の上山
祭神天御中主大神
・神祇全書に曰く
「天一神玉神社今東新宿村有称阿布良権現社叱乎」
・文徳実録に曰く
「天安元年8月庚辰(紀元1517年)在播磨国正六位
上天一神授従五位下、丁亥在播磨国従五位下天一神預官社」
・和名抄の百鬼経に曰く
「天一神和名奈加加美天女化身也」
その他の古書「姓氏録云」「神社覈録」「比保古云」「地名彙」「神祇志料」「播磨風土記」「播磨国細見記」「式社記」等に登載されている。
古例旧慣
往古より毎年正月朔日より七日間祭典を行いこの間に参詣すれば「天一神玉」の霊験により疫病に罹る事なしとの伝により参詣者は近郷のみならず他郷他郡の遠きより群参せり。
尚、近年は交通安全、入試合格、諸技術上達等の祈願により目的成就、喜びの人々急増せり
昭和54年8月吉日

「社頭掲示板」

由 緒
創立年代不詳なれど延喜式神名帳に佐用郡二社佐用比売神社・天一神社とあり延喜年代の宮席あり、正しくは天一神社と云う。

鍛冶の神、職業神、銅剣(県指定重要文化財)は明治20年(1887)頃平松の「ゴロウ」と呼ばれる所から発掘され、弥生時代に大陸から渡って来たもので圃場整備の時に数々の土器が発見された。

-「兵庫県神社庁」-

境内・社叢

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地名・地誌

地 図

兵庫県佐用郡佐用町東徳久1644

交通アクセス・周辺情報

公共 JR姫新線「播磨徳久駅」より北東へ4000m
車 国道179号線下徳久 太田井橋交差点を県道53号線へ。西徳久から千種川を渡る。

参 考

「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他

 - 佐用郡佐用町 ,