式内 走落神社

      2017/01/21

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概 要

社 号 走落神社
読み:はしりおち
江戸時代は「藤森神社」
延喜式神名帳 式内社 摂津国島下郡 走落神社
読み:ハシリオチ
所在地 大阪府豊能郡豊能町木代1556
旧地名 摂津国島下郡
御祭神 天照皇大神(アマテラスオオミカミ)  建速素盞嗚尊(タケスサノオノミコト)  少彦名命(スクナヒコナノミコト) 稻倉魂神(ウカノミタマノカミ)  五十猛大神(イソタケルノオオカミ) 水波能売神(ミズハノメノカミ)  白山姫神 応神天皇 天武天皇 武内宿禰命
例祭日 10月15日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
島下郡(シマノシモ):17座(大5座・小12座)座

近代社格制度  旧村社
創建    年代不詳。明治40年小玉神社に合祀
本殿様式  三間社流造

境内摂末社(祭神)

一口メモ

「走落」と書いて何て読むのだろうと興味があった神社。「そうらく」ではなくて「はしりおち」だそうだ。滋賀県長浜市にも同名社がある。水が流れる様子を「走る」と言ったとあり、谷筋に流れ落ちる滝のことだろうかと想像するが多分そうだろう。東能勢小学校を過ぎると道渕にこんもりとした社叢が見えて分かりやすい場所。

歴史・由緒等

由緒

走落神社はもと小玉神社と称した。明治40年、当時の東能勢村内にあった九社の神社を小玉神社に合併して社名を走落神社としたのである。明治39年8月、勅令として神社合併整理が行われた。伝承によると木代庄は平安時代末の康治2年(1142年)6月20日、貝川三位長乗が一族36人を率いて、都より来り開発の鍬を打ち込んだのが始まりと伝えられている。そして木代、切畑、大円という三村を開発した。この時の三ヶ荘の氏神として、木代庄大円村に延喜式内走落神社を創立したと伝えられている。戦国時代、織田信長の兵火にかかるのを恐れてか、この頃、走落神社の御祭神を分散して相殿としてお祀していた天照大神を木代村に移して「小玉宮」を建立し、少名彦名命を切畑村に移して「走湯天王社」を建立し、元の走落神社は社名を改めて、鎮座地の字名“藤の森”を取って「藤森神社」とし建速素盞嗚命をお祀りしたという。そこで、明治の神社合併で村内十社の神社が合併されたが、その中で社格の高く、もと御同殿にお祀り申し上げていた神様が再び、同殿、同床に鎮座されたことから社名を「走落神社」とした。「走落」の社名と走落神社周辺の地名等から走落神社創生当時、その近辺に病気に効験のある冷泉か、温泉が湧出しており、湯治に集まった人等の尊崇を集めた神社ではないかと思うのである。先ず「ハシル」は、万葉集でも「岩走る垂水の」等、水の流れる形容に使われており、この様な事から「水が流れ落ちている所にある神社」ということが考えられる。又、走落神社が三社に分散した時の一社に「走湯天王社」があり、この社名は“湯が迸り出ていた”と解することが出来る。b 現在の走落神社の御本殿は、藤森神社の御本殿を移したものであるが、三間社流造の立派な建築である。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年

境内・社叢

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社頭                   社号標

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鳥居                  手水舎

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狛犬

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拝殿

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本殿・幣殿・拝殿              本殿

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本殿右手境内社

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左境内社

地名・地誌

地 図

大阪府豊能郡豊能町木代1556

交通アクセス・周辺情報

阪急バス千里中央より余野行き、浅田下車10m

参 考

「延喜式神社の調査」さん

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