式内 御形神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社号 式内社 播磨国宍粟郡 御形神社
読み: みかた
所在地 兵庫県宍粟市一宮町森添280
旧地名 播磨国宍粟郡御形村
御祭神

中殿 葦原志許男神(アシハラノオ)
左殿 高皇産靈神(タカミムスビ) 素戔嗚神(スサノオ)
右殿 月夜見神(ツクヨミ) 天日槍神(アメノヒボコ)
例祭日 10月10日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
宍粟郡(シサハ・しそう) 7座(大1座・小6座)

近代社格制度 旧県社

創建     宝亀3年(772)現在地に遷
本殿様式   流造 檜皮葺

境内摂社(祭神)

左閉神社・日吉神社・忠魂社

一口メモ

4月に伊和神社から帰りに御形神社を思い出したが、日暮れになってしまった。またゆっくり訪れてみたいということで8月に再度訪れた。

歴史・由緒等

以下は、御形神社HPより

御祭神
本殿 葦原志許男神
相殿 神素戔嗚神・高皇産霊神・月夜見神・天日槍神
末社 佐閉神社(右側) 日吉神社(左側)
市内唯一の国指定重要文化財 御形神社本殿

御由緒

当社は、「みかた神社」または「たかみさん」「県社」などと申し、社格は式内小社。
当社のご祭神は葦原志許男神(アシハラノシコオノカミ)と申し、又の御名を大国主神(オオクニヌシ(大国主)ノカミ)とも申し上げます。志許(シコ)は 、元気のある、武勇に優れた、或は神威赫(シンイカク)たる神という意味であります。 この神様は、今の高峰山(タカミネサン)に居られて、この三方里や但馬の一部も開拓され、蒼生(アヲヒトグサ)をも定められて、今日の基礎を築いて下さいました。  しかし、その途中に天日槍神(アメノヒボコノカミ)が渡来して、国争ひが起こり、二神は黒葛(ツヅラ)を三條(ミカタ)づつ足に付けて投げられましたところ、葦原志許男神の黒葛は、一條(ヒトカタ)は但馬の気多郡に、一 條は養父郡に、そして最後は此の地に落ちましたので地名を三條(三方)といひ伝へます。又、天日槍神の黒葛は全部、但馬国に落ちましたので但馬の出石にお鎮まりになり、今に出石神社と申します。

やがて葦原志許男神は事を了へられてこの地を去られるに当り、愛用された御杖を形見として、その山頂に刺し植えられ、行在の標(シルシ)とされました。以て、当社の社名「御形」は、形見代・御形代より起こりました。 その刺し植えられた所に社殿を建ててお祀り申しましたのが当社の創祀であります。 やがて奈良朝の宝亀3年(772年)、里人数人が一夜の中に三本の大杉が、山神社の森に鼎立するという霊夢を見、これは山頂の大神の当地へのご遷座の所望であらう との事で、早速ご社殿を造営し、お祀り申し上げたのが当地での起源であります。 平安時代延長5年(927)撰進の「延喜式」にその名が見え、下って室町時代後期の大永7年(1527)3度目の火災の後再建されたのが現在の御本殿です。三間社流造、檜皮葺、昭和42年国指定重要文化財に指定され、昭和46、7年に解体復元工事が施工されて、室町時代後期の見事な彫刻や繊細な組物が甦りました。

-「御形神社HP」-

境内・社叢

  
参道は2つあった。複数の区が氏子なのだろう

  
日本一の大絵馬。

縦4.5㍍、幅7.2㍍。
当社は、おみくじで「大吉」を引かれた方に、願掛け絵馬を差し上げています。その絵馬がこの大絵馬の下に沢山掛けられています。

  
拝殿                        本殿


舞殿

  
左手境内社                   ちょうど秋祭の準備をされていた  

『播磨国風土記』宍禾郡の記載にある、御方(御形)の郷の地名の由来に

天日槍命と葦原志許乎命が、黒土の志爾嵩に至り、おのおの黒葛を三条(みかた)を投げて支配地を決定した。
天日槍命の投げた三条は、すべて伊都志(出石)に落ちた。
葦原志許乎命の投げた黒葛は、一条が但馬の気多の郡に、一条は夜夫の郡に、そして、最後の一条が御方に落ちたため、三条(みかた:御方・御形)という地名となった。
天日槍命の投げた黒葛が出石に落ち、天日槍命を祭神とする
出石神社があり、
気多郡に葦原志許乎命を祀る気多神社が鎮座し、養父郡にも、大己貴命を祀る養父神社が存在。
そして、御方の地に葦原志許乎命を祀る当社が鎮座する。

また、『播磨国風土記』には、伊和大神が形見として、自分の杖を植えられたため、御形とするという記述もある。

当初は当社の南東にある高峰山山頂に鎮座していたが、宝亀三年(772)、御方里の山神社鎮座の小森に一夜にして三本の大杉が鼎立する夢のお告げによって、社殿を造営し、現社地に遷座。

式内社・御形神社に比定される古社。

明治三十六年までは高見大明神とも称され、また、高皇産靈神を祀る社として「タカミさん」とも呼ばれ、三方東一宮とも称されていた。
明治十九年に県社に列格してからは、単に県社ともよばれるようになった。

 

正福寺桜

御形神社のショウフクジザクラは県内でも最大級のものであり、市指定の天然記念物としてふさわしい風格を備えるものといえます。春に尋ねたときは、車を止めた駐車場に、ちょうど桜が咲いていた。

但馬地方から播磨地方北部に分布する固有種で、新温泉町湯の正福寺の植栽木であったことから、「正福寺桜」と命名された。

学名はプルヌスタジマエンシス・マキノ。花一輪の花弁50枚前後、ガク片10枚、メシベ2~6本という八重桜の変種(キンキマメザクラとヤマザクラの自然交配種)である。 葉柄と花弁は薄い毛で被われており、花弁の枚数は樹齢に関連するとされている。 開花時期は4月上旬~中旬。

 

ホームページ 『神社公式サイト』

地名・地誌

地図

兵庫県宍粟市一宮町森添280

交通アクセス・周辺情報

参 考

兵庫県、御形神社HP

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