式内 意上奴神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

社 号 式内 意上奴神社

式内社 因幡国法美郡 意上奴神社
読み:古 イカム 現 いぬがみ
江戸時代は「七社大明神」と称していた
所在地 鳥取県鳥取市香取字意上谷369
旧地名 因幡国法美郡
御祭神 速須佐之男命(すさのお のみこと)
例祭日 3月9日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
法美郡[ハフミ]:9座大1小8

近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳
本殿様式   流造 柿葺

境内摂社(祭神)

一口メモ

国道29号バイパスから53号津ノ井バイパス周辺は道がやたらに多くて苦手である。鳥取環境大学の付近の線路の向こうのようだ。環境大学交差点手前に右に行く道があったようだが、行き過ぎてしまい、旧29号を狭い踏切を渡り、紙子谷から南へ進むと、南のはずれに意上奴神社の赤い鳥居が見えたが、境内はなく意上奴神社参道の立て札がありもっと奥にあるようなので進むが見あたらない。

山の中腹で農作業をされている人に聞くと途中に看板があるところから西の山中だと教えられた。ここでもシトリではなくシズリだったように、イカムではなく、よく聞こえなかったが意上はイヌガミと読むからイヌガミ神社と言われたのかも知れない。

意上堤という池の横に神社の案内板。地図で見ると東の祢宜谷から神社のそばまで細い道があるようだが。道を行けるところまで車で進むが、先は山道しかないので、数百メートルの参道(山道)は小川のように水が川のように流れているぬかるみの悪路を進むとだんだん雑草で覆われた獣道の風体だ。ハイキングにはいいかもしれないが、整備されていない道は時節柄、熊や動物が出そうなので怖かった。ここまで来たのだからと進むと意上奴神社社叢地という杭と注連縄があったのでほっと一安心。山全体がご神体らしい。さらに進むと小さな滝が流れていて滝の横には古い苔むした石段がある。かなりきつそうな勾配だが、社がすぐ上に見えたので足取りは軽くなった。神秘的な古参道の姿を堪能できた。

歴史・由緒等

当社社記によると文徳天皇仁寿2年(906)に神階正6位を授けられ醍醐天皇延喜5年(906)後一条天皇万寿3年(1026)には奉幣使を立てさせ給うなど往古より朝廷の尊崇深く又、国中に異常ある時は国主は必ず祈願したという延喜式内に列する古社であり県内屈指の大社でもある。 江戸時代には藩主の崇敬殊に厚く大祭には多数の参拝があり武士は競馬、騎馬等を催し盛儀を極め今に馬洗、馬場、矢谷等の地名を残す。当社は七社大明神とも称し禰宜谷、香取、紙子谷、広岡、舟木海蔵寺桂木の総社であり境内は巨樹林立し荘厳なる神域であり昭和59年鳥取県の天然記念物に指定された。

「社頭掲示板」

境内・社叢


鳥居

  
林道に神社への入口が           山の薄暗い道を少し進めば神社の社叢を表示する標柱

  
清水が湧く沢伝いに登る

  

拝殿

    

拝殿                           拝殿・本殿

地名・地誌

紙子谷は、地元但馬にも神子畑(みこばた)というかつて栄えた鉱山があったが、巫女、または神子((みこ、ふじょ)は主として日本の神に仕える女性のこと。古来より巫女は神楽を舞ったり、祈祷をしたり、占いをしたり、神託を得て他の者に伝えたり、口寄せなどをする役割であったが、明治になってからは神社において神事の奉仕をしたり、神職を補佐する役割へと変化していった。神子が紙子になったのではないか。社務所は紙子谷にあるらしい。

地 図

鳥取県鳥取市香取369

交通アクセス・周辺情報

参 考

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