旧官幣大社 別表神社 洛北 名神大社 京都市 二十二社 京都(山城国)

世界遺産 山城国一宮 名神大 賀茂御祖神社(下鴨神社)

概 要

社号 式内社(名神大) 山城国愛宕郡 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)

読み:古 カモノミオヤ、現 かもみおや

通称 下鴨神社
所在地 京都府京都市左京区下鴨泉川町59
旧地名 山城国愛宕郡
延喜式神名帳 山城国愛宕郡 賀茂御祖神社 二座 並名神大 月次相嘗新嘗
御祭神
西御本殿 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)  玉依姫命の父
東御本殿 玉依媛命(たまよりひめのみこと) 賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)の母

例祭祭礼

1月15日 御粥祭
5月3日 流鏑馬神事
5月12日 御蔭祭
5月15日(賀茂祭、葵祭)

蹴鞠はじめ(毎年1月4日)
奉納演武(毎年5月4日・下鴨神社主催、日本古武道振興会共催)
下鴨納涼古本まつり(8月中旬・京都古書研究会主催)

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
愛宕郡(オタキ) 21座(大8座・小13座)
式内社(名神大)

中世社格制度  二十二社(上七社)
近代社格制度  旧官幣大社 勅祭社
社格制度廃止後 別表神社

創建      不詳(崇神天皇7年(紀元前90年)頃?)
本殿様式    流造

境内摂社(祭神)

摂社
境内社

河合神社 – 式内社(名神大)「愛宕郡 鴨川合坐小社宅神社」。鴨長明ゆかりの社
六社 任部社 三井社
出雲井於神社 – 式内社「愛宕郡 出雲井於神社」
境内社 岩本社 橋本社
三井神社 – 式内社(名神大)「愛宕郡 三井神社」
諏訪社 小杜社 白鬚社 賀茂波爾神社 稲荷社 御蔭神社 日吉神社 貴布祢神社

末社

言社(ことしゃ) 本殿前にある七つの社の総称、大国主命の七つの別名ごとの社で17世紀に造られた。十二支の守り神とされる

相生社 – 2本の木が途中から1本に繋がった「連理の榊」と呼ばれるご神木がある。縁結びの神様として有名
印璽社 井上社 愛宕社 稲荷社 祓社 印納社 沢田社 河崎社 賀茂斎院歴代斎王神霊社

文化財

国宝
建造物
賀茂御祖神社 東本殿 西本殿

重要文化財(国指定)
建造物
賀茂御祖神社 祝詞舎 幣殿 東西廊(2棟) 東西御料屋(2棟) 叉蔵 四脚中門 東西楽屋(2棟) 中門東西廻廊(2棟) 預屋 西唐門(附 左右透塀2棟) 舞殿 神服殿 橋殿 細殿 供御所 大炊所(附 井戸屋形1棟) 楼門 楼門東西廻廊(2棟)

摂社出雲井於神社 本殿(3棟) 拝殿 棟門 東西廊下(2棟)

その他

世界文化遺産 「古都京都の文化財」
国の史跡 「賀茂御祖神社境内」「鴨社御本宮之絵図」「鴨社古図」

以下は「附(つけたり)」指定物件
本社の附
末社印璽社本殿 末社一言社本殿(2棟) 末社二言社本殿(2棟) 末社三言社本殿(3棟) 透塀

摂社出雲井於神社の附
岩本社本殿 橋本社本殿

摂社三井神社の附
三井神社末社本殿(諏訪社、小杜社、白鬚社)(3棟)

一口メモ

河原町通り葵橋を渡り、渡り終えたところ(下鴨本通り)の信号から4つ目の信号(左側にローソンあり)右折しすぐ。から右に入る。有料駐車場に停めた(1時間150円)。境内横に参拝者用無料駐車場があったが、神社公式サイトには書いていない。訪れたのは7月22日の大暑だが森の中は薄暗いほどだ。一の鳥居から糺の森の参道を歩きたいが、1km近い長い参道を歩くには時間がない。

歴史・由緒等

当神社がまつられたのは、崇神天皇の七年(BC九十)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録があり、それ以前の古い時代からまつられていたとおもわれます。先年糺の森周辺の発掘調査で弥生時代の住居跡や土器がたくさん発掘され、それを裏付けています。また社伝や歴史書に、お祭、社殿、ご神宝等の奉納などが記録されています。『続日本紀』の文武天皇二年(六九八)には、葵祭に見物人がたくさん集まるので警備するように、という命令が出された、という記事があります。このことから、奈良時代より前から当神社が大きなお社で、盛大なお祭がおこなわれていたことがわかります。 平安時代には、国と首都京都の守り神として、また皇室の氏神さまとして、特別の信仰を受け、別項に記します式年遷宮や斎王の制度などがさだめられていた特別な神社であったことがしられます。そして『源氏物語』や『枕草子』など王朝文学にしばしば登場いたしますように、この時代の文化、宗教の中心地の一つとして栄えました。 平安時代末期になりますと全国に六十余箇所もの荘園、御廚が寄進され神社をささえました。 鎌倉時代、室町時代、そして戦乱の世になっていくにつれ、各地の荘園も連絡が次第に絶えて行きますが、代わって国民の信仰が神社をささえていくようになりました。神殿守(殿司)とよばれる人々が全国をまわってご神徳を説いていくのもこのころです。当神社を舞台とする、数多くの能(謡曲)などに、そのころの様子がうかがわれます。また国の重要な出来事には、かならずご祈願が行われました。 江戸時代にも、国と国民の幸福を祈願する神社として、神社の運営のため幕府より領地が寄せられました。 明治初年、全国の神社の代表として、官幣大社の首位におかれ、今日まで国と国民のための祈願を日々おこなっています。【創祀】創祀の年代を特定することは出来ないが、『日本書紀』神武天皇二年(BC六五八)二月の条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斎していた一系流「葛野主殿県主部」との氏族の名がみえる。 この氏族は、賀茂建角身命の先の代、天神玉命を祖神とする鴨氏と同じ氏族であったことで知られている。 また、『賀茂神宮賀茂氏系図』には、賀茂建角身命の子、鴨建玉依彦命より十一代後の大伊乃伎命の孫、大二目命が鴨建角身命社を奉斎していたことが記されている。その社が、今日の賀茂御祖神社の始源の社の一社であろうとされている。 崇神天皇七年(BC九〇)には、社の瑞垣が造営(『鴨社造営記』)され、垂仁天皇二十七年(BC二)八月には、御神宝が奉まつられている。(『同書』)また、緩靖天皇(BC五八〇)の御世より御生神事が行われた(『旧記』)との伝承があり、欽明天皇五年(五四四)四月から賀茂祭(葵祭)(『本朝月令』『年中行事抄』)が行われていることからみて、創祀は西暦紀元をはるかに遡るものとみられている。
『神社公式サイト』

賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに古代氏族の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭)で有名である。

賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀ることから「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。

賀茂建角身命は、古代の京都をひらかれた神さまです。山城の国一宮として京都の守護神としてまつられています。平安京が造営されるにあたって、まず当神社に成功のご祈願が行われました。以来、国民の平安をご祈願する神社と定められました。
山城国『風土記』などに、玉依媛命が鴨川で禊(みそぎ─身を清める儀式)をされているときに、上流より流れ来た丹塗の矢を拾われて床におかれたところ、矢は美しい男神になられ、結婚された。そしてお子をお生みになったとの神話が伝えられていますので、古くから縁結、子育ての神さまとして信仰されています。当神社は、国家国民の安穏と世界平和をご祈願する守護神であるとともに、厄除、縁結、安産、子育、交通安全など人々の暮らしを守る神さまです。【ご神徳】賀茂建角身命は、農耕をひろめ民生の安定につとめられたことによって世界平和、五穀豊穣、殖産興業、身体病難解除。また、『古事記』『日本書紀』には、賀茂建角身命を金鵄八咫烏(きんしやたからす)として表わされた御功績が伝えられているとおり、導びきの神として方除、厄除け、入学、就職の試験などの合格、交通、旅行、操業の安全等多方面に御神徳を顕わしておられる。
御子神、玉依媛命は、『風土記』に御神威が伝えられている。婦道の守護神として縁結び、安産、育児等。また、水を司られる神として著しい御神徳を発揚せられている。

京都の社寺でも最も古い部類に入る。社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したと伝える。また、崇神天皇7年(紀元前90年)に神社の瑞垣の修造が行われたとの記録があり、この頃の創建ではないかとの説がある。一説には、天平の頃に上賀茂神社から分置されたともされる。
上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けた。平安遷都の後はより一層の崇敬を受けるようになり、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂御祖神社二座」として名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降約400年にわたり、斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。
平安時代中期以降、21年毎に御神体を除く全ての建物を新しくするための宮移し(式年遷宮)を行っていたが、本殿2棟が国宝に指定されているため、現在は傷んだところを直す形を取っている。

賀茂御祖神社の創始は古く、太古に遡ります。神社境内の糺の森から縄文時代の祭祀遺跡や旧境内から集落など発掘されました。『日本書記」神武天皇2年(BC658)2月の条に御祭神の伝承がみられ、綏靖天皇の御代(BC580頃)に、現在の御蔭祭の始源である御生神事がはじまったとの所伝があります。

社殿が造営された最初の記録は、崇神天皇の7年(BC90)瑞垣を造替したとの記述です。それ以降、奈良時代以前に幾度も社殿が造替されたとの記録がみられ、白鳳6年(677)には山背国司に命じられて造営が行われ、この時から板葺や茅葺の社殿を桧皮葺と瓦葺にかえたとあります。

欽明天皇5年(544年)にはじまった賀茂祭(京都の3大祭の1つ、通称葵祭)は、当時まつりといえば賀茂祭をさしたほど隆盛を極めました。
平安遷都(794)以降は皇都である京都の総鎮護として山城国一ノ宮となり、皇女が賀茂斎王として神社に奉仕する賀茂斎院の制度が定められるなど朝廷の尊崇厚く、国家国民の安泰を祈願する神社でありました。このことは明治以降も変わらず、官幣大社の筆頭として全国の神社の首位におかれ、このような歴史によって社殿と境内が国指定の文化財となり、平成6年(1994)世界の文化財として世界文化遺産に登録されています。

境内・社叢


『神社公式サイト』より

  
糺の森

  
楼門                   楼門左手前の相生社 神皇産霊神(かむむすびのかみ)縁結びの神

  
舞殿(まいどの)  (上)

下鴨神社境内の中央に位置します。葵祭の時天皇の勅使が御祭文を奏上され東游が奉納される場所です。(重要文化財)

神服殿(しんぷくでん)(右)

古来殿内の一室が行幸の時に玉座となった殿舎です。夏、冬の御神服を奉製する御殿であったため、神服殿という名前がついています。(重要文化財)

中門

言社

  

  
言社

本殿前にある七つの社の総称、大国主命の七つの別名ごとの社で17世紀に造られた。十二支の守り神とされる。

境内社


三井神社(玉依日売命 賀茂建角身命 伊賀古夜日売命)

式内社(名神大)「愛宕郡 三井神社」

末社 諏訪社、小杜社、白鬚社
この中の諏訪社(上ノ諏訪) 建御名方神が式内論社・須波神社

  
出雲井於神社(建速須佐乃男命)  式内社「愛宕郡 出雲井於神社」

末社 岩本社 橋本社

地名・地誌

地 図

京都府京都市左京区下鴨泉川町59

交通アクセス・周辺情報

鉄道
最寄駅:京阪電鉄 出町柳駅 (徒歩約10分)
バス
京都市営バス(1・4・205系統)で、「下鴨神社前」バス停下車 (徒歩すぐ)

駐車場:有り

ホームページ 「神社公式サイト」

参 考

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