伊弉册神社(式内 伊和都比売神社)
Contents
概 要
社 号 式内 伊弉册神社
読み:いざなみ
通称名 佐奈岐神社
江戸時代は「佐奈岐神社」
延喜式神名帳
式内社 播磨国明石郡 伊和都比売神社
読み:イヤツヒメ
式内社 播磨国明石郡 弥賀多多神社
読み:ヤガタタ
所在地 兵庫県明石市岬町19-8
旧地名 播磨国明石郡
御祭神
主祭神 伊弉册大神(イザナミノオオカミ)
配祀神 素盞嗚大神(スサノオノオオカミ) 屋船豊受大神(ヤフネトヨウケノオオカミ) 猿田彦大神(サルタヒコオオカミ) 福福三宝荒神(火結大神・ホムスビノオオカミ)
例祭日 10月第2土曜日・日曜日
左義長(とんど祭) 1月15日に近い日曜日午前8時頃
明石浦漁協の組合員の奉仕による近在にない大規模な行事である。
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
明石郡(アカシ) 9座(大3座・小6座)
近代社格制度 旧県社
創建 崇神天皇6年9月10日
本殿様式 流造銅葺
境内摂末社(祭神)
一口メモ
伊和都比売神社の比定社は、当社を含め三社
伊弉册神社
稲爪神社 明石市大蔵本町6-10
岩屋神社 明石市材木町8-10
弥賀多多神社比定社
堅田神社 神戸市西区平野町堅田
伊弉册神社 明石市岬町19-8
伊弉册神社相殿に素盞嗚大神が配祀されている。
歴史・由緒等
由 緒
延喜式神名帳に云う明石郡九座の一つ伊和都比売神社にて、人皇10代崇神天皇御宇6年勧請せられた式内社である。人皇49代光仁天皇御宇宝亀2年(771)、境内地四丁四方赦免地となる。
別所氏三木城主たる時崇敬厚く、社領五十石を寄進し、祭典営繕に当ったと云われる。
天正年間(1573~1591)減地となるも、東城に小祠を建て御旅所と名づく(元の祇園さん)西城にも小祠を建て(賀神社)旧境内東西の境界の遺跡とする。
嘉吉年間(1441~1443)赤松氏の和阪ノ戦、天文年中(1532~1554)町野入道の放火、天文年間羽柴氏三木城攻め等のしばしの兵火に罹り、社殿・旧記をことごとく焼失する。
松の巨木(名残の初代の三本松)の生い茂るサナギの森と云われた。
明治12年(1879)、県社に列せられる。
昭和20年(1945)、太平洋戦争の戦災にて社殿、社務所一切の建物を焼失。
昭和37年(1962)、社殿再建。
当社は物を生産する神、特に女神の信仰篤く、古くより根強い信仰を集めている。-「兵庫県神社庁」-
境内・社叢
鳥居 社号標
石灯籠 手水舎
境内社号標 三本松
狛犬
拝殿 拝殿扁額
左手境内社
地名・地誌
地図
交通アクセス・周辺情報
公共
・山陽電鉄「西新町駅」より南南東へ800m
・JR山陽本線「明石駅」より南西へ1400m
・明石市バス藤江線「大観橋」より南へ300m
車 浜国道大観橋の東の信号を南へ300m
参 考
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他
0件のコメント