元伊勢外宮豊受大神社
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概 要
社 号 豊受大神社 別名 元伊勢外宮
読み: とようけだいじんじゃ
所在地 京都府福知山市大江町天田内字東平178-2
旧地名 丹後国加佐郡
御祭神
主祭神 {豊受姫命|とようけひめのみこと}(豊受大神)
相殿神 {日子番能邇邇芸尊|ひこほのににぎのみこと}・{天児屋根命|あめのこやねのみこと}・{天太玉命|あめのふとだまのみこと}
例祭日 4月26日
社格等
式外社
近代社格制度 旧府社
創建 (伝)雄略天皇22年(478年)
本殿様式 神明造茅葺
境内摂社(祭神)
摂社(別宮)4社 多賀神社(拝殿左) 土之神社(拝殿右) 月読宮(本殿左後方) 風之宮(本殿右後方)
境内末社 37社
一口メモ
国道175号線の大江町関交差点から府道9号(綾部大江宮津線)へ入り、約1kmすると信号前に大きな社号標と参道がある。手前の脇の杜の旧参道らしいところにも社号標があるので通ってみた。30年前、元伊勢内宮皇大神社と天の岩戸神社は訪れたことがあるが、外宮は今回はじめてである。
歴史・由緒等
当社は旧号を与佐宮(よさのみや)と称し、豊受大神を主祭神として祀り、境内末社には全国の名神大社の神々が奉斎されている。元々、天照大御神が八咫鏡を写しとして降臨されて以降、宮中に奉斎されていたが、第10代崇神天皇の御代、あまりの霊位によって畏れ多いとの理由で神器を遷座することとなり、皇女豊鋤入姫命がその遷座地を求めるにあたり、 当地にも33年間鎮座されてと言われている。また、これとは別に、大宮地を求めて鎮め祭れとの天照大御神の御神勅があったとされ、同39年に当地を大宮地と定め大和国笠縫邑より遷御されたという。そして、当地で初めて宮殿を建立され大御神を奉斎され、同時に豊受大神を合わせ祀られたのが当社の始まりと伝えられる。
「加佐郡誌」所載の当社の由緒は、雄略天皇22年、天皇が神誨を受け、丹波国丹波郡比沼の麻奈為に座す豊受大神を伊勢国度会の外宮に移した時、しばらく当地舟岡山に鎮座したのに始まるとする。
「宮津府志」は、用明天皇第三皇子麿子親王が鬼賊退治の報賽として建立したという。
明暦2年(1656)4月の当社所蔵棟札によると宮津藩主京極高国によって「征夷大将軍源家綱公疱瘡平癒祈願」のために本殿・神楽所・御供所が造営され、同年9月の棟札によると「国家安全祈願」のために斎蔵が造営されて、以後、式年61年目ごとに改営されてきたという(加佐郡誌)。
文化年間の覚書牒(天田内林田家文書)によれば、材木引初めから社殿完成まで3年余りを要し、正遷宮の時には「群集夥しく福知山から宮津まで宿つまりてなし」とある。
社領は延宝5年永井信濃守が4石6斗4升2合を寄進、以後元禄2年阿部対馬守、正徳3年奥平大膳太夫、享保3年青山大膳亮、延享4年青山大膳亮、明和3年松平豊後守などが保護し明治に至った。
社家37軒の総代は亀井家で、神官河田家とともに世襲。社家は伊勢神宮の御師に相当し、当社の発展に大きく貢献した。
「元和七年七月吉日越前国三国新保村助左衛門寄進」の刻銘をもつ石製狛犬もあり、広い信仰圏をもっていた。
9月1日(9月の第一日曜)には明暦年間以来の由緒をもつ八朔祭が行われる。例祭は4月26日。
(「丹後の地名地理・歴史資料集」さん)
大江町 元伊勢三社
皇大神社 大江町内宮 皇大神宮(伊勢神宮内宮)の元宮伝承地
豊受大神社(当社) 大江町天田内 豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮伝承地
天岩戸神社 大江町佛性寺 皇大神社奥宮
三重県のお伊勢さんの元宮になった神社。元々丹後地方に天下った農耕の神様で、雄略天皇の22年、神夢より伊勢山田原に迎えたのが伊勢宮外宮の始まりとされ、ここ豊受大神社はその元宮だと言われている。
[京都府観光ガイド]
境内・社叢
参道 南参道
手水舎
拝殿 摂社 多賀神社(拝殿左) 土之神社(拝殿右) 拝殿
(本殿左手)末社 (本殿奥)末社
(本殿右手)末社 風之宮(本殿右後方)
(本殿裏)神木
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「丹後の地名地理・歴史資料集」さん
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