【日本神話】 第3巻「出雲編」 第6章 オオクニヌシ(大国主)の国譲り

■オオクニヌシ(大国主)の国譲り(葦原中国平定)

高天原(たかまがはら)では、地上の豊かな出雲の国はアマテラスオオミカミ(天照大神)の子孫が治めるべきだという相談がなされていました。そこでアマテラスオオミカミは国譲りの交渉のために、3度も使いを送ったのですが、使いは出雲の住み心地の良さに帰って来なかったりして、なかなか交渉は成立しませんでした。

そこで切り札として、タケミカツチノカミ(建御雷之男神・建御雷神)とアメノトリフネノカミ(天鳥船神・天鳥之石楠船神)が出雲にやって来ました。 タケミカツチノカミとアメノトリフネノカミは稲佐の浜に降り立ち、剣を抜いて波頭に逆さまに立て、その上にあぐらをかいてオオクニヌシ(大国主)ノカミ(大国主神)に国譲りを要求しました。オオクニヌシ(大国主)ノカミは自分の息子であるコトシロヌシノカミから考えを聞くように二神に言いました。

タケミカツチは、再びオオクニヌシ(大国主)のところへ戻って来て言いました。

「そなたの子どものコトシロヌシ(事代主神)とタケミナカタ(建御名方神)は、アマテラスオオミカミのお子さまの命令には逆らわないと答えた。そなたの心はどうだ。」

これに対して、オオクニヌシ(大国主)は、こう答えました。

「わたしの子どもたちがお答えしたとおり、わたしも同じ気持ちです。この葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)は、ご命令どおりに、すべて差し上げます。ただし、わたしの住む場所をアマテラスオオミカミのお子さまが、天の神の「あとつぎ」となってお住まいになられる御殿のように、地面の底深くに石で基礎(きそ)を作り、その上に太い柱を立て、高天原にとどくほどに高く千木(ちぎ)を上げて造っていただければ、わたしは、その暗いところに隠れております。また、わたしの百八十もいる子どもの神たちは、コトシロヌシを先頭にお仕えいたしますので、天の神のお子様に逆らうものはいないでしょう。」

鳥や魚を捕るために美保の碕に出かけていたコトシロヌシノカミは呼び戻され、アマテラスオオミカミの考えに従うと言って、乗ってきた船を踏み傾け、柏手を打って青い柴垣に変えて、その中に隠れてしまいました。

この様子を伝えているのが、美保神社の諸手船神事(もろたぶねしんじ)と青柴垣神事(あおふしがきしんじ)です。

また、もう一人の息子のタケミナカタノカミはタケミカツチノカミと力くらべで決めようと、タケミカツチノカミの腕をつかんだところ、たちまち腕はツララに変わり、次いで剣に変わってしまいました。 今度はタケミカツチノカミがタケミナカタノカミの腕をつかみ、握りつぶしてしまったので、タケミナカタノカミは青くなって、諏訪湖まで逃げてしまいました。

オオクニヌシ(大国主)ノカミもアマテラスオオミカミの申し出を受け入れることにしました。 その代わり、自分の住まいをアマテラスオオミカミの子孫と同じように、千木(ちぎ)が大空にそびえるような立派な宮殿を建ててほしいと願い出ました。

そこでアマテラスオオミカミは、オオクニヌシ(大国主)ノカミのために多芸志(たぎし)の浜に大宮殿を建てました。

それが出雲大社のはじまりだといわれています。

大国主と出雲神話


高天原を追放されたスサノヲは流浪の果てに、出雲において大蛇を退治し、須賀の宮におさまって妻を求める歌をうたいます。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を」

出雲地方の伝承的な歌謡であったこの歌が、『古事記』の中で最初に掲げられた歌です。

『古事記』上巻には、このスサノヲの物語に続いてオオクニヌシ(大国主)(大国主神)神話が続きます。オオクニヌシ(大国主)の事跡の出雲との関係や出雲大社との関連から、出雲系神話といわれ、また登場する神々を出雲系の神々とよびます。

この部分は、すでにオオクニヌシ(大国主)の支配していたこの国土が、天下ってきた高天原の神の支配に交替するという劇的な構成から、大和朝廷に拮抗ないし対立する出雲での権力の存在を示す物語であるというような歴史的事実と結びつけた見解などさまざまに論じられる物語となっています。上巻特有のごつごつした違和感に満ちた世界が展開すると同時に、他方で人間の「情」のありように通じるもの、たとえば後世なら「仁」や「愛」あるいは「やさしさ」といったことばで本来表現されるべき事柄が描かれてもいます。

オオクニヌシ(大国主)の物語は、前半と後半では趣が異なります。前半は美しい因幡のヤガミヒメを獲得しようと旅立つ兄たちのあとに荷を背負って追うさえない神でした。白ウサギにやさしさを施すとウサギの予言通り姫を得ることになります。しかし、兄弟神の怒りを買い、試練にたたされ死に追いやられます。そのたびに彼は母神やカミムスビや貝の女神たちなどの力で復活しますが、最後には迫害を避けるため、母神の配慮で根の国のスサノヲのもとにおくられます。そこでもスサノヲに試練を与えられますが、恋仲となったスサノヲの娘スセリビメの助けを得て脱出し、スベリビメと手を携え呪術能力を得てこの世に帰還します。迫害した兄弟神たちを退治し、支配者となります。

支配者としてのオオクニヌシ(大国主)は、国作りを単独では行えず、スクナビコナ(小彦名神)という海の向こうから渡ってきた小身の神の協力を得て、支配します。後にスクナビコナは海の向こうに去り、、オオクニヌシ(大国主)は国土の未完であることを嘆きます。

さて、このオオクニヌシ(大国主)は多くの神話的神の重ね絵とされます。事実、物語の展開のなかでその呼称を何度か変えます。『日本書紀』では、人々に「恩頼(みたまのふゆ)」を与えたと簡潔に書かれています。他方『古事記』では、複雑ですが民衆的なレベルでの神、あるいは支配者の理想像という古層をとくによく伝えているといえるでしょう。

しかし、オオクニヌシ(大国主)神話は国土の完成のあとは一転して、色好みのこの神の女性遍歴と、妻であるスセリビメの嫉妬と、二人の和解の物語となります。

このように、出雲系の神話は、その政治性とは別に、その叙情性において、『風土記』にも登場するオオクニヌシ(大国主)の姿には、民衆に「恩頼(みたまのふゆ)」をほどこした神として、支配ないし支配者によせる集団的な願望のようなものが込められているともいえます。出雲系とくに、オオクニヌシ(大国主)神話は、その後高天原の神に国の支配を譲るという形で書かれ、天皇の物語のなかで、重要な位置を占めます。政治神話と異なる側面をみせるのが、この神話の後半の愛の遍歴の部分です。そこでは濃厚に歌謡が情の世界と関わり、神の世界から、人間の情の描写へとの橋渡しの意味を持った部分を形成しています。

「大国主」となった「大己貴命」

『出雲国風土記』では、国引き神話のヤツカミズオミツヌこそ、出雲国の名付け神になっている。それは、ヤツカミズオミツヌが、この地を「八雲立つ出雲」と呼んだから、というものであるが、和歌こそ詠んでないものの『古事記』に記されたスサノオのそれと、まったく同じ内容である。

ヤツカミズオミツヌは『古事記』こそ、スサノオの四世孫としているが、案外、スサノオの別名ではなかろうか。

それはスサノオの「出雲」における呼称なのかも知れない。

『古事記』によれば、オオナムチはスサノオから、生大刀、生弓矢、玉飾りのついた琴を奪って逃げ、スサノオは、それを許している。これは、オオナムチを、軍師に命じたことに他ならない。この時スサノオは、50歳にさしかかってしたと思う。オオナムチが軍師になれたのは、スサノオの娘である「須勢理姫」(すせりひめ)が、オオナムチに惚れてしまったという、『古事記』の記述を信用するしかないが、以外にも、本当なのかも知れない。いずれにしても、スサノオの後押しがなければ、不可能な話であろう。

軍師であるからには、スサノオの率いて来た、「物部」の大軍を自由に使ってもいいわけだ。オオナムチは、「越」の八口を討ったと、『出雲国風土記』は記している。この記述が、「越」の高句麗族の最後の時だ。

これにより「出雲」・「越」とも平定され、スサノオは、その後、南朝鮮に渡り、先に述べたとおり、南朝鮮を含めた日本海文化圏を、形成していくのである。

この文化圏は、鉄資源を元手にした通商連合であった。貿易を生業としていたのである。

通商を生業とした、早い話が商売人は、江戸時代の堺衆がそうであったように、何者にも屈しない、強い結束力を備えていたのであるが、一度、メリットが無くなれば簡単に崩壊してしまう。

オオナムチは、スサノオの後押しもあって、最大の貿易相手である「少彦名命」(すくなひこなのみこと、おそらく朝鮮半島の「昔」《すく》姓の一族。以下、スクナヒコナ)と、共同して貿易に携わり、国土経営をしていたのであるが、そのスクナヒコナは、常世の国に行ってしまう。すなわち、死んだのである。

この結果、オオナムチは、スポンサーを失ってしまうこととなった。

オオナムチは、『古事記』によれば様々な地方の女性を妻にしている。

スサノオの娘である「須勢理姫」(すせりひめ)を始め、「因幡」の「八上姫」(やがみひめ)、「越」の「沼川姫」(ぬまかわひめ)、「宗像」の「多紀理姫」(たぎりひめ)、「鳥取」の「鳥取神」(ととりかみ)、「神屋楯姫」(かむやたてひめ)がそうである。

これらの女性出身地からみても、海を通じた交流の様子が窺い知れる。

「神屋楯姫」の出身地は明記されていないが、オオナムチの地元、「意宇国」であろうか。

この頃の、オオナムチの勢力範囲は、「大和」までに拡大していたらしい。

『古事記』には、「出雲」から「大和」(倭国)にオオクニヌシ(大国主)が、出張していく様子が記されている。このことは、「須勢理姫」との歌のやりとりとともに記されているのだが、「須整理姫」が、オオクニヌシ(大国主)に対して「八千矛神」と呼びかけているので、「大和」を勢力範囲にしたのは、スサノオだったのかも知れない。「八千矛神」とは、神社伝承学によれば、スサノオのことであった。

「昔」姓の「少彦名命」が亡くなることにより、スポンサーを失ってしまったオオナムチは、南朝鮮の資金源(鉄資源)を、絶たれてしまう可能性があった。もともと、南朝鮮の鉄資源は、スサノオ族が押さえていたのだが、その後、高句麗族に奪われた。スサノオは、「統一奴国」を成し遂げ、高句麗族を追放することにより、再び南朝鮮の鉄資源を奪取した、と推測している。その地盤をオオナムチが受け継いでいたのであるが、「昔」族は、スサノオ族と同郷であろう。「昔」族もスサノオ族もともに、「高皇産霊尊」(たかみむすびのみこと、以下、タカミムスビ)を、崇める一族であったのである。

2009/09/06


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