名神大 山神社(豊岡市日高町山宮)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社号 式内社(名神大) 但馬国気多郡 山神社
読み:古[ヤマノ] 近代[やま] 所在地 兵庫県豊岡市日高町山宮字前田409-3
旧地名 但馬国気多郡太多郷
御祭神 主祭神 大山祇神おおやまつみのかみ
随神 句句廼馳命くくのちのみこと  埴山姫神はにやまひめのかみ
合祀 火結神ほむすびのかみ 奧津彦神おきつひこのかみ 奧津姫神おくつひめのかみ 倉稻魂命うかのみたまのみこと 保食神うけもちのかみ 櫛稻田姫神くしなだひめのかみ 品陀和氣命ほむだわけのみこと(応神天皇) 速素盞嗚命すさのおのみこと
『国司文書・但馬神社系譜伝』祭神 五十日帯彦命いかたらしひこのみこと(山公の祖) 垂仁(すいにん)天皇の皇子。

例祭日 10月9日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
気多郡(ケタ):21座(大4座・小17座)
式内社(名神大)
『気多郡神社神名帳』記載三ニ社のひとつ

近代社格制度  旧村社
創建      欽明天皇2年(511)2月9日
本殿様式    流造柿茸

境内摂社(祭神)

稲荷神社

一口メモ

2005年6月27日に一度訪れた。再度写真を増やすため2011.8.3に追加。 神鍋山へ向かう農道ができ、接しているので分かりやすい。道路を登ると社叢林が目の前に現れる。鳥居をくぐると、参道階段を下る。入口より境内が下にある、珍しい下り宮の形式。 広大な敷地に原生林がそびえ立ち神秘さが漂います。旧日高町の天然記念物に指定されている。

歴史・由緒等

由緒 欽明天皇2年2月9日の創立と伝えられ、宮の北山なる聖岩に鎮座せしも天平神護元年4月8日今の地に遷座された。
承和9年官社に預り、貞観10年神階従五位上に進叙せられ、延喜式の制名神大に列し、源頼朝神領米三十三石、山三町四面を寄進すると伝え、江戸時代藩主仙石氏の崇敬を受けて例祭には代参又は直参せられた。
宝永3年本殿を建立し、さらに明治27年本殿を再建されたのが現在の本殿である。
明治6年10月村社に列し、同41年三柱、八幡、八坂の三神社を合祀し稲荷神社を境内に奉斎した。 『全国神社祭祀祭礼総合調査』 神社本庁 平成7年

『国司文書 但馬故事記』に、
人皇35代舒明天皇の3年秋8月、垂仁天皇の皇子 五十日帯彦命の裔 山公峯男をもって、多遅麻国造となす。
山部を管(つかさ)どる山公峯男は、その祖 五十日帯彦命を太多村に祀り、山宮と称えまつる。(式内名神大 山神社)

御神木 朴(ホオノキ)の巨木 根廻り9.5m 古来山神社の御神躰は此の朴の木の謹作と言い伝えられ又大日本史神祇志に山神社今在山宮村稱厚朴大明神祀大山祇命と記してあって山神社と朴の木は因縁深きものあり 故に昔氏子は朴歯の下駄を用いざる風習であったと云い伝へられてゐる。 「社頭掲示板」

埴山姫神(ハニヤマヒメ) ハニヤスは、日本神話に登場する土の神である。 「ハニ」(埴)とは粘土のことであり、「ハニヤス」は土をねって柔かくすることの意とされる。 神産みにおいてイザナギとイザナミの間に産れた諸神の一柱である。『日本書紀』では埴安神と表記される。『古事記』では、火神を産んで死ぬ間際のイザナミの大便から波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神の二神が化生したとする。他に、神社の祭神で埴山彦神・埴山姫神の二神を祀るとするものもあり、これは埴安神と同一の神格であり、彦・姫の二神を一神の名として称したのが埴安神であるとされる。 地鎮祭で、土の神として他の神とともに祀られることがある。 ーウィキペディアー

境内・社叢

   
山宮手前から山神社社叢               参道入口鳥居

  
境内から鳥居

   
拝殿                        拝殿・本殿


幣殿

  
本殿左手  境内社 稲荷神社       境内右手に苔むした石の間に清水が流れる。神池だろう

地名・地誌

山宮(やまのみや) 『国司文書 但馬故事記─第一巻・気多郡故事記』に、 人皇十六代仁徳天皇元年五月 将軍荒田別命は、御子 多奇波世(タケハセ)君の弟 田道公を山口邑に置き、田道公の子 多田毘古を多他邑(太田)に置く。 山口邑(村)とはどこなのか。山の口は山の宮(山神社)の口をさすのか、太多・多他(太田)の神鍋山をさすのか分からないが、太田への旧道は山神社そばにつながっていたと思われる。 『国司文書 但馬神社系譜伝』に山神社は 太多郷 山ノ神社 気多郡山守(ママ)部村鎮座 山守部は、原本によれば「山間郡村」とあるが、但記・大観録・郷名記・世継記などによって「山守部」と改めた。 止美村が今の十戸とあるので、今の山宮から栃本辺りだろうと思う。 田道は「田路=トウジ・トジ」ならトジの元がトチモトに転訛したものと想像する。石井のご老人が「石井の村と田んぼはここいらでは大部落で、十戸の田んぼあたりも字は石井なんじゃ」と、お話されていたことも気になる。 田道とは石井のことではないだろうかと。

地図

兵庫県豊岡市日高町山宮409-3

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式の調査」さん、ウィキペディア-

Follow me!


1件のコメント

コメントを残す

アバタープレースホルダー

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA