名神大社 豊岡市 旧村社 兵庫(但馬国) 出石町(出石郡)

名神大 御出石(みいずし)神社

概 要

社 号 御出石神社

式内社 但馬国出石郡 御出石神社(名神大)
通称:加茂さん
読み 古 ミツシ 現 みいずし
所在地 兵庫県豊岡市出石町桐野986
旧地名 但馬国出石郡埴野郷出石御出石村
御祭神
御祭神 日矛神(アメノヒボコ)
『国司文書 但馬故事記』 国作大巳貴命 御出石櫛甕玉命

例祭日 10月14日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
出石郡(イツシ・いずし):23座(大9座・小14座)
式内社(名神大)

近代社格制度 旧村社

創建  不詳
本殿様式

境内摂社(祭神)

文化財

御出石神社本殿 江戸時代 市指定文化財

一口メモ

遠くからそれらしい大きな森が見える。何度も国道から見ていたが初めて訪れた。ご神域の森は広々としていて、鳥居から社殿の距離が長い。出石神社もそうですが道路が鳥居の前で神域を遠慮するように迂回している。

歴史・由緒等

本殿は出石最古の神社。

一説には、神武天皇六年三月、出石丘に鎮座。 天日矛命の子孫によって祀られたという。 室町時代には、山名氏の崇敬が篤く 社領の寄進や社殿の修復が行われた。

永禄十一年(1568)本社を再建。 天正八年(1580)秀吉によって社領を没収されたが 近世に、出石領主小出氏や仙石氏に崇敬され 万治二年(1659)本殿修理。 当時は名神大社であったが、 後、加茂社領となり、加茂神社として崇敬されたという。

『校補但馬考』に、「延喜式に桐野神社とあるは、此村にいますなり、今は加茂大明神と伝えて、桐野、水石、寺坂、日野辺、上野五村の氏神なり。また山に古城あり、山名の時、福留甲斐入道宗題、これに居る、天正年中、山名亡びて、此の城も廃れる。
(中略)延喜式曰く御出石神社、名神大、今この神社なし、他の荒神二社あり、或いは伝桐野賀茂大明神これなりと。然るに、桐野御出石ともに、式内にありて、もとより二社なり。今混じて一つにかたし。また此の地に、木船大明神あり、俗に賀茂の御前と称す。これ実の桐野神社にて、賀茂はいよいよ御出石神社なるか、式に大社とあれは、妄りにはたえしとちもある(みだりには絶えしとおもはる)」

『国司文書 但馬神社系譜伝』
出石郡御出石村鎮座
人皇一代神武天皇の六年春三月、御出石丘に鎮座す。この故に御出石県(ミズシアガタ)となす。
次に御出石櫛甕玉命の御子・天国知彦命、県主となる。

『国司文書 但馬故事記』

国作大巳貴命は、出雲の国より、伯耆・稲葉(因幡)のニ県国を開き、多遅麻に入る。
伊曾布・黄沼前・気多・津・薮・水石の県を開く。

大巳貴命、この郡に在るの時、地上に数夜光り有り。命(みこと)、その光を尋ねて、地を穿(うが)つこと、数仭(すうじん)、白石を得たり。
その白石忽然と化して女神に成る。
命、間いて曰く、「汝は誰か。」女神、答えて曰く、「妾(われ)は稲葉の八上姫なり。吾が夫神、嫡妻を愛す。故、御子一人を木俣に置きて去れり。然りといえども、愛慕を思いて止まず。この処に在りて、夫神の至るを俟(待)つなり。一箇(ひとり)の御子は大屋の御井の許に在り。」(式内 御井神社:養父市大屋町宮本)
命、これを聞き、これに対えて曰く、
「愛しき少女よ、吾、今も愛慕す。」
媾合(あいあ)いて、御出石櫛甕玉命を生む。
御出石櫛甕玉命は、天火明命の女(むすめ)、天香山刀売命(あまのかやまとめ…)を娶り、天国知彦命を生む。

以上の資料を総合すれば、賀茂大明神(加茂大明神)があった地に、もともと水石村と桐野村境に座していた御出石神社が、出石川の洪水のため流され、埴野郷五村の氏神として現在地に遷したと伝わる。現在水石内に小さいながら別に水石(御出石)神社があるし、桐野にも別に桐野(貴船)神社がある。

境内・社叢


鳥居

  
御神門                   手水舎

  
拝殿                    本殿

  
狛犬

  
左手境内社                    右手境内社  

地名・地誌

埴野郷ハニノゴウ
『太田文』曰く出石郡土野ハニノ
村数
上野・日野辺・桐野・寺坂・水石ミズシ・畑
右土野庄と云う。これより東を、すべて山ノ中と称す。
市場・南尾ミノオ・出合・日殿・矢根・奥矢根
出合デアイ郷と云う。

地 図

兵庫県豊岡市出石町桐野986

参 考

但馬の神社と歴史三部作

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