名神大 櫛石窓神社
Contents
概 要
社 号 式内 櫛石窓神社
式内社 丹波国多紀郡 櫛石窓神社
読み:古 クシイハマト、現 くしいわまど
所在地 兵庫県篠山市篠山町福井1170
旧地名 丹波国多紀郡福井村
御祭神
櫛石窗命(くしいわまどのみこと)、豊石窗命(とよいわまどのみこと)、大宮比賣命(おおみやひめのみこと)
例祭日 4月29日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
多紀郡(タキ):9座(大2座・小7座)
式内社(名神大)
近代社格制度 旧県社
創建 年代不詳
本殿様式 神明造 萱葺
境内摂社(祭神)
境内社 火雷神社(火雷大明神)
末社 福井村地神合祀殿
山神社、日吉社、天満社、四宮社等
参道境内社 稲荷神社
文化財
平安時代につくられた3体の神像 国指定文化財(2体盗難)
一口メモ
兵庫県の丹波の式内社で唯一の名神大社であり、最も行きたかった神社が篠山市の最後になった。(というか県境の一番奥だし。。。)
本殿が見当たらないと思ったら、奥に本殿らしき高床式の社殿が見えたが、コンクリとブロックで囲まれていて参道も草で覆われていてなさそうだ。禁足地になっている。
歴史・由緒等
当櫛石窓神社は、天照大神の天の岩戸隠れの折、御門を守った櫛石窓命・豊石窓命・の二神を祀る名社で、皇居神祇官西院に御門神の根源の本社として御鎮祭の、神徳広大にして延喜式神名帳に見える明神大社である。
神山の磐座は、神代における櫛石窓命・豊石窓命の二神神降の磐山で霊巌あらたかな禁足の神跡であり、こ
の二神の御神像は国の重要文化財となっている。
御例祭は、四月二十九日におこなわれ、太鼓神輿の巡行をはじめ巫女舞、餅まきなどで賑わっている。
三月十一日には、境内に祀られている火雷大明神の祭があり、昔から雷御守護、災難御守護の御信仰は有名で、多くのお参りがある。
当社を「丹波の国大芋の大宮」ともいう。
「境内入口の案内板」
当神社は丹波国五座四社の一社で、兵庫県丹波では唯一の名神大社です。「丹波国 大芋の大宮」とも呼ばれているそうです。
社頭の神社略記には天照大神の天の岩戸隠れの折に、御門を守った二神とあります。またこの二神は同体異名の神で、手力雄命(たぢからお)の別名で、天照大神を岩戸から引きずり出された神ということで、力の神、スポーツの神として信仰されています。
神明造(しんめいづくり)の本殿がブロック塀ごしに見える。平安時代につくられた3体の神像が祭られていたが、30年ほど前に2体が盗まれ、今は「大宮比売命坐像(おおみやひめのみことざぞう)」だけが残されている。
摂末社の福井村地神合祀殿には、山神社、日吉社、天満社、四宮社等があります。
南西約4キロの場所には、県内2位の規模を誇る雲部車塚古墳(全長約140メートル)もあり、周辺は古代から政治的に重要なエリアだったのだろう。
境内・社叢
県道からひと目で神社と分かる杜が横に細長く、入口はその北側から。
社頭掲示板
一の鳥居・社号標 参道と社叢
手水舎 二の鳥居
拝殿 拝殿
本殿(禁足地)
境内社 稲荷神社
境内社 火雷神社 福井村地神合祀殿
地名・地誌
地名の由来
篠山川の最上流に位置する「大芋」は、大きい芋と書いて、「おくも」と呼んでいます。
大芋は、篠山市内でも早くから、開発が進んだ土地で、式内大社の櫛石窓神社があるところでもわかります。
奈良時代以前(710年以前)は、「草上里」に含まれていました。その後「草上郷」と「草上荘」となるに及んで「大雲荘」や「村雲荘」、「小野荘」等と細分化されました。その頃の地名は「大雲」と、書かれています。
南北朝時代から室町時代ころの荘園名として「篠山領地誌」や「篠山封疆志」には、「大芋荘」となっています。また、「丹波志」は「大芋庄」と書かれていて、雲か芋かは、地名の起りの解釈によりようです。
「大芋」は、きり芋で、雲のような形をしているので「おくも」と呼び、「多紀郡明細記」では、「大芋」または「大雲」とも書かれています。
地名起源の一つに、市野々の洞穴に土蜘蛛が住んでいたので、「大蜘蛛」から「大雲」となったようです。
明治31年の町村制改正によって「大芋」と書いて「おくも」と呼ぶようになりました。なお、江戸時代の大芋村は、「福井組」といいました。(篠山市ホームページより)
地 図
交通アクセス・周辺情報
舞鶴若狭自動車道丹南篠山口インターから東へ約20分。国道173号に案内看板
雲部車塚古墳(全長約140メートル)
参 考
「神戸新聞」社寺巡礼、「延喜式の調査」さん、他
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