名神大 生国魂神社
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概 要
社 号 生国魂神社
(延喜式)摂津国東生郡 式内社(名神大)難波坐生国咲国魂神社二座
読み: 古 イククニ・タマノ、現 いくくにたま
別名:難波大社(なにわのおおやしろ) 通称:生玉神社・生玉(いくたま)さん
所在地 大阪市天王寺区生玉町13-9
旧地名 摂津国東生郡(東成郡)
御祭神
主祭神 生島(いくしま)大神・足島(たるしま)大神
相殿 大物主大神
例祭日
生玉夏祭 7月11日~12日(大阪三大夏祭のひとつとしても知られる)
彦八まつり 毎年9月の第1土曜日、日曜日(上方落語協会主催)
例祭 9月9日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
東生郡[ヒムカシナリ]:4座(大3座・小1座)
式内社(名神大)
近代社格制度 旧官幣大社
社格制度廃止後 別表神社
創建 伝・神武天皇年間(紀元前711年-紀元前585年)。1912年(明治45年)1月のミナミの大火により焼失し、翌年再建。1945年(昭和20年)3月の第1回大阪大空襲により焼失し、4年後に再建されるも1950年(昭和25年)9月のジェーン台風により倒壊。社殿喪失が相次いだこともあって、1956年(昭和31年)に鉄筋コンクリート造りで再建された。
本殿様式 生国魂造(鉄筋コンクリート)
境内摂末社(祭神)
11社の境内社
皇大神宮・住吉神社・天満宮・鴫野神社(しぎのじんじゃ)・城方向(きたむき)八幡宮
・家造祖(やづくりみおや)神社・浄瑠璃神社・鞴(ふいご)神社。・稲荷神社 – 祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)の分霊。
源九郎稲荷神社・精鎮(せいちん)社
文化財
算額 元文4年(1739年) 山口幸治郎奉納(復元)
一口メモ
大阪市市内中心部でも最も有名な古社。
歴史・由緒等
神武東征に際し天皇みずから石山碕(現在の大阪城を含む一帯)に日本国土の御神霊、すなわち八十島神である生島大神・足島大神を祀られ、国土平安を祈請された事に始まる大阪最古にして日本総鎮守の神社。
生国魂神社は、伝承によれば、神武東征の際に、神武天皇が難波碕(石山崎・現在の大阪城付近)に生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)を祀り、国家安泰を祈願したことに始まるという。『日本書紀』孝徳天皇即位前紀には、天皇が難波宮造営に際して北隣する「生国魂社の樹(木)」を切ったとある。延喜式神名帳には「難波坐生国咲国魂神社 二座」と記載され、名神大社に列している。延喜式名神大社である。
1580年(天正8年)に石山合戦の戦火により焼失。1583年(天正11年)には豊臣秀吉による大坂城築城に際して現在地への移転が決定された。秀吉は300石の社領を寄進して社殿を造営し、1585年(天正13年)に遷座された。このときに造営された社殿は「生国魂造」と呼ばれ、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという例のない独特の建築様式のものである。1615年(元和元年)には大坂夏の陣の兵火にかかったが、徳川秀忠によって再建され、これまで通り300石の社領が寄進された。
明治維新期の神仏分離によって神宮寺の法案寺(真言宗)を境外へ分離。天正年間の豪壮な桃山文化の遺構が鉄筋コンクリート造りのいまにも伝えられている。
生国魂神社では一年を通じていろいろな行事が行われるが、中でも圧巻は、7月11日・12日の夏祭りである。
生国魂神社の氏地は天王寺区・中央区からなり、それぞれ、子供神輿(みこし)・獅子舞い・枕太鼓などが出され、町は祭りの雰囲気でいっぱいになる。東地区には行宮(あんぐう)があり、12日には「渡御祭」が行われる。今では交通事情のため、自動車での「お渡り」になっているが、戦前は千数百人の行列の「お渡り」であったという。枕太鼓を先頭に、神官・役員・御羽車(おはぐるま)等が車で氏地を回り行宮へ行き、氏子の疫病退散・厄除け開運を祈る。
-『大阪市公式HP』他-
境内・社叢
鳥居 北門
手水舎 境内・拝殿
拝殿 (奥)本殿
「上方落語の始祖」米沢彦八の碑 摂社 天満宮(本殿横)
摂社 住吉社(本殿横) 摂社 皇大神社(本殿横)
精鎮社 稲荷神社・源九郎稲荷神社 鴫野神社
末社 城方向(きたむき)八幡・鞴(ふいご)・家造祖・浄瑠璃各神社
浄瑠璃神社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
地下鉄谷町線・千日前線「谷町九丁目」駅より徒歩4分
近鉄「上本町」駅より徒歩9分
JR「天王寺」・「なんば」・「鶴橋」各駅より徒歩20分
車/阪神高速「夕陽丘ランプ」から約5分
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