国府地区(気多郡国府郷)・中筋地区(加陽郷) 官社(式内社)

式内 三野神社(豊岡市日高町野々庄)

概 要

社号 式内社 但馬国気多郡 三野神社
『国司文書 但馬故事記』美努(ミノ)神社
読み 古 ミノ 現 みの
江戸時代は「美努神社」「十二所権現」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市日高町野々庄字下小屋782
旧地名 但馬国気多郡国府三野村(もっと古くは美努村)
御祭神 師木津日子命(しきつひこのみこと)あるいは 天湯河桁命(天湯河板挙命) (あめのゆかわぞなのみこと・ あめのゆかわたなのみこと) 彦坐命(ひこいますのみこ)
『国司文書 但馬故事記』
天湯河板挙命 (三野連、鳥取部連、三野国造の祖)
例祭日 10月9日 例祭

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
気多郡(ケタ):21座(大4座・小17座)
式内社

『気多郡神社神名帳』記載三ニ社のひとつ

近代社格制度 旧村社

創建     雄略天皇4年(460)美努連嘉摩先祖天湯河板挙命を祀
本殿様式 流造柿葺

境内摂末社(祭神)

稲荷神社

一口メモ

国道312号線府中小学校を過ぎて右折すると野々庄という標識のところで細い道をまっすぐ進むのがわかりやすい。
この神社に興味を覚えたのは、式内社が野々庄にはあって、松岡、堀、池上、芝にはないことだった。但馬考に、気多郷 山本・松(ノ)岡・土居・手邊・国府(コフノ)市場・堀・野野荘・池(ノ)上・芝の村、祀典所伝、伊智神社(国府市場村)、御井神社(土居村)、三野神社(野野荘村)と記されている。これは上記の三野神社は野々庄と芝村の産土神としていた、とのことで納得のいくところ。おそらく堀、池上も四村に式内社は三野神社と伊知神社しかないので、神社を建立するまではどちらかを産土神としていたのだろうと勝手に想像する。

堀、野々庄、池上、芝は、いずれも田に囲まれた自然な郷村でいまでも狭い農道が迷路のように各農家をつなぐように張り巡らされているので、贈答品の配達の際に住宅地図を見ながら何度も困った経験がある。

迷ったら、府中小学校東の旧道に緑の日高町が建てた区表示があるので、表示に従えば分かりやすいのでいつもそうしている。すんなりと隣の区の神社にたどり着けないが各区は円山川との間にほぼ長方形で分割されていて近距離だ。

歴史・由緒等

由 緒
創立年月不詳にして延喜式の制小社に列し在来十二所権現と称せしも明治3年(1870)三野神社と復称す

明治6年(1873)10月村社に列せらる。

-「兵庫県神社庁」-

『国司文書 但馬故事記』(第一巻・気多郡故事記・上)

人皇二十一代雄略天皇三年秋七月 黒田大連を以って多遅麻国造と為し、府を国府村に移す。
黒田大連は天児屋根命の19世の裔にして、大職冠 藤原鎌足公五世の祖なり。

黒田大連は、天湯河板挙命の裔・美努連嘉摩を召し、鳥取部となし、鳥を捕え、御贄(みにえ)を作らしむ。
有功の諸神を祀り、神門臣(かむとおみ)を召し、神人(みわひと)となす。

四年秋九月、美努連嘉摩は、その祖 天湯河板挙命を国府村に祀り、美努(ミノ)神社と称え祀る。

『国司文書 但馬神社系譜伝』

人皇二十一代雄略天皇の四年(秋)九月、美努連嘉摩これ(天湯河板挙命)を祀る。
天湯河板挙命は、角凝魂命の十三世孫、美努連の祖なり。

堀 日吉神社
池上 熊野神社
西芝 須賀神社 八坂神社

師木津日子命

安寧天皇、綏靖天皇5年(紀元前577年)- 安寧天皇38年12月6日(紀元前510年1月17日))は、『古事記』『日本書紀』に伝えられる第3代天皇(在位:綏靖天皇33年7月3日(紀元前549年8月31日) – 安寧天皇38年12月6日(紀元前510年1月17日))。磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみのみこと)・師木津日子玉手見命(『古事記』)。

いわゆる欠史八代の1人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的であるが実在説もある。(ウィキペディア)

境内・社叢

  
鳥居                   社号標

  
社殿                   本殿覆屋

境内左に境内社

地名・地誌

野々庄(ののしょう)

『国史文書別記・但馬郷名抄』第一巻・気多郡郷名抄(975・平安後期)
国府(気多郷)美努(ミノ)

『校補但馬考』但馬太田文(1285・鎌倉期)
気多郷 野々庄
国府所在の地なり。またの名は気多郷。
美努は三野神社とも書いた。
野々庄は、街道から離れた田園地帯にある集落で、三野、野々庄とは地勢から推察するに、野が一つでなない分かれた単位で複数あり、それらを総合して野々庄というようになったのではなかろうか。
もしくは野々庄のみ田結庄姓がおられることから、城崎郡田結庄を起源とする山名四天王 田結庄(たいのしょう)氏の所領地であった可能性も否定出来ない。(田結庄)殿の庄(とののしょう)から「ののしょう」かも知れない。

地図

兵庫県豊岡市日高町野々庄782

備 考

-参考:「延喜式の調査」さん、他