式内 与能神社
Contents
概 要
社 号 与能神社
式内社 丹波国桑田郡 與能神社
読み: 古 ヨノ、現 よの
所在地 京都府亀岡市曽我部町寺蛇谷1
旧地名 丹波国桑田郡曽我部郷
御祭神 事代主命(ことしろぬしのみこと)、健御名方命(たけみなかたのみこと)、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
例祭日 10月22日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
桑田郡(クワタ):19座(大2座・小17座)
近代社格制度 旧郷社
創建
本殿様式
境内摂末社(祭神)
祇園社・春日神社・住吉神社・稲荷神社
乾天満宮 百太夫神社
文化財
與能神社本殿 府登録文化財
與能神社文化財環境保全地区 府文化財環境保全地区
一口メモ
歴史・由緒等
奈良時代の四道将軍丹波道主命が国家鎮護の為、桑田郡に三座の神社を祀った、これ三宅神社・山国神社・與能神社である。
由緒掲示板
延喜式内社で「諸国鎮座神秘抄」の写しによれば、奈良時代の四道将軍丹波道主命が 国家鎮護の為、桑田郡に三座の神社を祀った、これ三宅神社・山国神社・與能神社で ある。と記述され奈良の東大寺が別当寺であったが、與能神宮寺が建立され、現在の 御旅所を中心に曼茶羅堂・講堂等、寺区全域に伽藍・五重塔などが立ちならび、その 地名が今も現存している。皇室・大名等の崇敬が篤く、口丹波南部の中心として隆盛 を極めたが、鎌倉時代に兵火にあい焼失したが、複弁蓮華軒丸瓦や五重塔の心礎・礎 石などが現存している。又、「谿端與能宮旧記」によると、僧空海が嵯峨天皇の命に より神宮寺の奥ノ院露堂に僧形八幡(現存)を祀り護摩祈祷を行った。後嵯峨天皇が 村山與能八庄を神領として寄進されたと記されている。本殿は三間社流造りで蛙股の 四神(玄武・白虎・蒼龍・朱雀)などの彫刻はすばらしく、現存する慶長八年(17 03)の棟札によると、文応元年(1260)に建立された本殿が慶長元年の地震で 倒壊し同八年再建されたことがわかる。現在の本殿は正徳四年(1714)の棟札に より改修されたものと考えられる。京都府登録文化財で、鎮守の森一帯は文化財環境 保全地区に指定され、又、シイ、カシなどブナ科の巨木が残っており京都府の自然2 00選(植物の部)に社叢林として選定されている。境内には応永二十二年(141 4)の銘のある優美な橘形仏燈があり、石造美術として日本燈籠史に掲載されている 。例祭は十月二十二日で古来「六華祭」と云う名で呼ばれ、六ヶ村の氏子を御輿がま わる輪番が廻り地蔵で決められる神仏習合の形が残っている祭りである。
境内・社叢
鳥居・社号標 手水舎
境内社前にも手水鉢がある 手水舎の右手に池
狛犬
拝殿 本殿
本殿側面 本殿
境内社 祇園社 春日神社・住吉神社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
『延喜式の調査』さん、他
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