式内 久度神社
Contents
概 要
社 号 式内 久度神社
読み:くど
延喜式神名帳 式内社 淡路国三原郡 久度神社
読み:クト
所在地 兵庫県南あわじ市神代國衙1417
旧地名 淡路国三原郡
御祭神 仲哀天皇(チュウアイテンノウ)
例祭日 5月16日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』式内社
南海道 163座 大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134
淡路国 13座(大2座・小11座)
三原郡(ミハラ) 4座(大1座・小3座)
近代社格制度 旧村社
創建
本殿様式 春日造 銅板葺
境内摂末社(祭神)
一口メモ
こんもりとした杜が見えるのだが行き方がわからず、杜の方から農作業のトラクターに乗った地元の方が集落の道に出てこられ、そこから神社に行けるのは分かったが、鳥居の前に参道があるはずと、南の若宮神社やすいせんホームのある広い道から探したが川をはさんで農道ばかり。だいぶ時間をとられてしまった。結局車で行くには境内を通って集落を結ぶ道しかないようだ。
歴史・由緒等
由 緒
淡路十三社の一つにして、日本武尊の第二皇子仲哀天皇を奉祀し、往昔祈年国幣に預る。
第56代清和天皇、貞観6年(864)神階従五位下となり、第57代陽成天皇、元慶8年(884)従五位上に進む。
戦国の時代破境して其の由蹟不詳。
それを元禄(1688~1703)中頃、僧碧湛探り得て此処に宮居を再建せり。延喜式の制小社に列し、江戸時代天和3年(1683)、宝永5年(1708)社殿を再建し、領主より社領を供進せられる。
明治6年(1873)、村社に列せられる。
明治15年(1882)本殿を再建。
旧鳥居は、享保13年(1728)に建立されたものであるが、破損のため国衙部落の崇敬者の浄財を募り、大鳥居を建立し、其の事蹟を記し永く後世に伝える。
-「社頭掲示板」及び「兵庫県神社庁」-
大和国平群郡(奈良県北葛城郡王寺町久度4-9-1)の式内社久度神社との関係があると考えられている。「久度」という言葉が竈(かまど)を意味するクドに通じるため竈神ともいわれ、平安京に遷都するさいに現京都市北区の平野神社に遷されたと考えられています。その場合物部氏族の久努(奴)氏との関係があるのではないかと考えられている。
淡路津名郡(現・洲本市)には物部郷がありそれとの関係もあるのではないか。
境内・社叢
鳥居
社頭掲示碑
狛犬
手水舎 拝殿
本殿 本殿左境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
公共 淡路交通「国衙バス停」下車徒歩15分
車 28号線の「国衙交差点」より東へ500m
参 考
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他
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