式内 名木神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社号 式内社 丹後国丹波郡 名木神社
読み:古 ナキ 現 なき
江戸時代は「天酒大明神」と称していた
所在地 京都府京丹後市峰山町内記字宮奥134
旧地名 丹後国丹波郡
御祭神 豊宇賀能命(とようかのひめ)=豊受大神
=天酒大明神
例祭日 10月10日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
丹波郡[タハ]:9座 大2小7

近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳
本殿様式   瓦葺

境内摂社(祭神) 春日神社

一口メモ

国道482号峰山町北近畿タンゴ鉄道峰山駅を北に進み丹波小前交差点を右折し、まっすぐ東に進むと内記(ないき)。さらに進むと左に面して鎮座。
名木と京都府京丹後市弥栄町船木の奈具神社 豊宇賀能命(トヨウカノヒメ)=豊受大神は、もとは溝谷神社相殿奈具神社と同じ祭神で、同じ山の反対側南側である。波弥神社と同じく、天酒大明神と称し、『丹後風土記』中の比治山の天女をまつった。

歴史・由緒等

『峰山郷土志』
「延喜式』による丹波郡九座の一つで、波弥神社と同じく、天酒大明神と称し、『丹後風土記』中の比治山の天女をまつった。「名木」の社 号の起原は、比治の里、荒汐村を出た天女は「丹波の里、哭木の村に至り、槻木に拠りて哭けり。故、哭木村という…」とあるところからでたもので、哭木の文字をきらって、名木としたといわれ、村の名は内記の二字を当てはめたということである。

この社のある内記集落の里山には方墳、円墳、前方後円墳などの弥生から古墳時代の遺跡がびっしりと並んでいる。
古事記の裏書き、風土記の逸文に、「天の原 ふり放(さ)け見れば 霞立ち 家路まどひて 行方知らずも 」と謳われている羽衣天女(豊受大神)がこの「丹波の里の哭木(なき)の村に至り、槻の木に據りて哭きき。故、哭木の村と云ふ」と内記の地名の語源が出てくる村である。

名木神社は、この地の氏神として崇神天皇御宇からこの地に鎮座するといわれている式内社である。

祭神は羽衣天女といわれている天酒大明神(豊宇賀能売命)で、天女が泣いていたといわれる場所にある槻木(けやき)は神木といわれる梛(なぎ)ではないかとの説もある。この場所は社より200㍍ほど下った竹野川の東岸で、白つつじの株が残っていると峰山郷土史は述べているが、ここはかって丹波,内記、荒山、矢田、橋木の神輿が集まって祭礼を行ったと言い伝えられる多久神社の御旅所跡でもある。

-「ようこそたにわの郷へ」さん-

境内・社叢

  
社叢                       社頭

  
鳥居・扁額                    手水鉢


本殿側面 再建された新しい社殿

  
境内社                       社日塔(地神塔)五角塔

地名・地誌

地 図

京都府京丹後市峰山町内記134

交通アクセス・周辺情報

参 考

「ようこそたにわの郷へ」さん、『延喜式の調査』さん

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