式内 服部神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

社 号 式内社 因幡国法美郡 服部神社
読み:古 ハトリ 現 はっとり
江戸時代は「二所大明神」「二所八幡宮」と称していた
所在地 鳥取県鳥取市福部町海士字宮ノ前597
旧地名 因幡国法美郡
御祭神
天羽槌雄命(アメノハヅチノオ)、天棚機姫命(アメノタナバタヒメ)、素佐雄命(スサノオ)
例祭日 4月19日近い日曜日 例祭 9月9日 秋祭

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
法美郡:9座大1小8

近代社格制度

創建     年代不詳
本殿様式  流造

境内摂社(祭神)

一口メモ

国道9号線の鳥取市福部町海士(あま)から旧道へ少し入ると北側に面して鎮座。海士という地名は兵庫県北部や丹後籠神社の海部氏など日本海海岸部や伊勢などにもに地名が多い。古代の部民(海部)で、漁を得意とする出雲の海士族が住み着いた土地だろう。岩美町の佐弥乃兵主神社の字佐弥屋敷も海士族と塩造りに関係があるようだ。ちょうど神社を神官の方か区の氏子の方か分からないがきれいに清掃されていた。

歴史・由緒等

古代この地に織部が置かれ絹を織ることを業とした。地名も「服」と号し機織の業の発達進歩を祈って機織の神を尊崇し本社を創立勧請したと思われる。
往古は現鎮座地から約800m南、川向うの小字御内谷と称する谷隘に鎮座していたが寛永13年(1636)現在地に遷った。

天羽槌雄神(あめのはづちのおのかみ)は、『古語拾遺』に登場する。天羽雷命(あめのはづちのみこと)や、倭文神(しとりのかみ)、倭文神(しずのかみ)とも呼ばれる。天照大神を天の岩戸から誘い出すために、文布(あや)を織ったとされる。文布は倭文布とも倭文とも書き、「シドリ」また「シヅリ」という織物である。同じ織物の神では栲幡千々姫命、天棚機姫命が挙げられるが、天羽槌雄神は機織りの祖神とされている。また倭文(しどり)氏の遠祖でもある。
信仰としてはどちらの名でも織物の神、機織の神として信仰され、全国の倭文神社、静神社、服部神社などで祀られている。

天棚機姫命(あまのたなばたひめのみこと)も『古語拾遺』に登場する。天照大神(あまてらすおおみかみ)を天の岩戸から誘いだすために、神衣を織ったという。七夕の織姫として有名な織物の神様。

素佐雄命はスサノオ。『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、『古事記』では建速須佐之男命。出雲から山陰・隠岐、但馬などには東方した出雲系のスサノオ・オオナムチなどの物部系神社が多い。順列からするとあとから合祀されたのであろうか。

境内・社叢

  
社頭                        鳥居

  
拝殿                        奥:本殿覆屋

地名・地誌

地 図

鳥取市福部町海士597

交通アクセス・周辺情報

参 考

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