奈良市 奈良(大和国)

式内 添御県座神社(歌姫町)

概 要

社 号 添御県座神社
読み 古 ソウノミアガタニマス 現在 そえのみあがたいます
江戸時代には、「牛頭天王社」「八王子社」
延喜式神名帳 式内社 大和国添下郡 添御懸坐神社(大 月次/ 新嘗)

所在地 奈良市歌姫町999
御祭神 主祭神 速須佐之男命
配祀神 櫛稻田姫命 武乳速命
例祭日 10月10日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
添下郡[そえじも]:10座(大4座 小6座)
近代社格制度
創建   天平2年(730)の大和国正税帳に記載有り
本殿様式 春日造桧皮葺

境内摂末社(祭神)

なし

一口メモ

奈良市の北端で、大和(今の奈良県)と山城(今の京都府)の国境に位置する平城山の南側、狭い旧道(県道751号)脇に鎮座する。真南に平城京跡がある。添御県座神社の論社は2社あり、もう一社は奈良市三碓3-5-8。古代大和国に6ヶ所(高市・葛木・十市・志貴・山辺・曽布(添・のちに添上郡・添下郡に分割))あった御県神社(ミアガタ)の一つ。県は郡の古名。歌姫越えで諸国に旅する人々の手向けの神(道祖神)であったとされる。

式内・添御県坐神社には論社として上記2社があり、いずれとも決めがたいが、近世以降の古資料には、大和志(1734)、神名帳考証(1813)、神社覈録(1870)、神祇志料(1871)、特選神名帳(1876)のすべて三碓にあるとするが、いずれも根拠は示していない。これに対して、大和志料(1914)は“平城村大字歌垣御県山”(B社)にありとして、

「大和志・図絵には『三碓村に在り、今天王と称す』とあるに因り、今富雄村大字三碓にある村社を式内添御県と称するも他に憑拠なし。
但三碓は往時鳥見庄内にあり、即ち古の鳥見地方にして歴史上著名の処なり。若し添御県社にして三碓地方にありとせば寧ろ鳥見御県社とこそ称すべけれ。
今、歌姫は現に御県山(ミアガタヤマ)の字を存するのみならず、位置も亦添上郡に接する処にあり、大化立郡の際添県の名を以て二郡に推及ほせしは、固と地理の然らしむる所にして、神社の位置も亦二郡の交界たる歌姫の北方にありしならん。故に今当社を以て式内社と仮定す」

歴史・由緒等

当神社は、大和平野中央を貫く古代の下つ道の北端に位置する。そして、大和から歌姫越えて諸国へ旅をする際に、国境に鎮座する手向けの神として尊崇されていた。万葉集に左大臣・長屋王の詠んだ次の歌がある。
佐保すぎて 寧楽の手向けに 置く幣は 妹を目離れず 相見しめとぞ
この歌には、大和と山城の国境の神添御懸座神社を拝し、旅の安全を祈念したものと考えられる。
当神社は、格のある式内社・御県社の一つとしてだけでなく、農の神、旅の神として崇敬されてきた。江戸時代には「午頭天王社」「八王子社」として、除災・治病の神としても信仰されてきた。

「社頭掲示板」

 

境内・社叢

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手水舎                         拝殿

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狛犬

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本殿

地名・地誌

地図

奈良市歌姫町999

交通アクセス・周辺情報

参 考

「戸原のトップページ」

「延喜式の調査」

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