式内 美歎神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 式内社 因幡国法美郡 美歎神社
読み:古 ミタニ 現 みたに
江戸時代は「武王大明神」と称していた
所在地 鳥取県岩美郡国府町大字美歎字宮ノ前261
旧地名 因幡国法美郡
御祭神 經津主命(フツヌシ)、武甕槌命(タケミカツチ)
合祀 市杵嶋姫命
例祭日 4月10-11日 春季例祭

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
法美郡(ハフミ・ほうみ):9座(大1座・小8座)

近代社格制度
創建
本殿様式

境内摂社(祭神)

稲荷社

一口メモ

岩美郡国府町は平成の大合併で鳥取市国府町となったが、古くはその名の通り、法美郡で因幡国府が置かれた因幡国の政治の中心地だった。美歎区はその国府跡、国分寺の北東、一の宮宇部神社にも近い場所。

歴史・由緒等

美歎神社の創建は詳細には分からないが、清和天皇貞観16年(874)「因幡国従5位下美歎神に従5位上を授く」とあるから、少なくとも1000余年の昔から朝廷にも認められていたものと思われる。
また承徳3年(1095)国主として因幡に下った平時範の日記にも「2月26日惣社並びに宇倍神社に参拝の後美歎神社を巡拝した」と記されている。当然延喜式神名帳にも記載された「式内社」である。

御祭神は経津主命、武甕槌命、市杵島姫命の3神で、前2神は天照大御神の命を受け、大国主命と談判して、国譲りの大業を達成された武勇の神であり、市杵島姫命はもと美歎の空ヶ滝に鎮座していた「滝神社」の祭神(水の神)であったが、当社に合祀されたものである。もともと美歎部落は、その昔因幡山の頂上付近(屋敷鳴=奥三谷)にあり、戸数4戸の氏神として祀られていたが、人口が増えるに及び金内(屋敷谷=二度村)に移転し、更に現在地(宮の前)に部落と共に奉遷されたと云われている。因みに現在地に社殿の造営は正徳二年(1712)と棟札に記されている。最近昭和12年(1937)本殿、幣殿が、更に昭和62年(1987)社務所、参籠所がそれぞれ改築された。
当社の例祭日は4月11日であるが、お祷祭として前日の夕刻より、御祭神が氏子の祷宿に御降神になり、氏子衆と共に一夜を歓談されることになっている。

「社頭掲示板」

境内・社叢


社頭掲示板

  
鳥居                    拝殿

  
本殿

境内社 稲荷社

地名・地誌

地図

鳥取県岩美郡国府町美歎261

交通アクセス・周辺情報

参 考

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