式内 與佐伎神社
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概 要
社号 与佐伎神社
読み: 古 ヨサキ、現 よさき
江戸時代は「伊與永大明神」と称していた
延喜式神名帳 式内社 但馬国城崎郡 與佐伎神社
所在地 兵庫県豊岡市下鶴井字上ノ山2456
旧地名 但馬国城崎郡田結郷
御祭神 依羅宿禰命(いらすくね のみこと)
配祀 保食命(うけもち のみこと)
『国司文書 但馬神社系譜伝』与佐伎命
例祭日 10月15日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
城崎郡(キノサキ):21座(大1座・小20座)
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳(『国司文書 但馬故事記』に、人皇六代孝安天皇の67年秋9月[前325?])
本殿様式
境内摂社(祭神)
八坂神社・稲荷神社
一口メモ
兵庫県豊岡市円山川右岸。玄武洞の1Kmほど南。ここらで鶴といえばコウノトリ。下鶴井の手前の野上にはコウノトリ保護増殖センターがある。今ではコウノトリの郷公園が完成し、施設は移っているが、ここでも飼育が行われている。下鶴井から北部の赤石・結・戸島・楽浦・飯谷・畑上・三原は、城崎郡田結郷下鶴井庄とよばれていた。
集落の奥に境内へ登る石段があった。獣よけのロープをはずして境内へ。神社巡りをするようになって獣よけの電線やロープに抵抗なく慣れてしまった。しかし、どこもかしこも猪、鹿、熊、猿など動物が増えて田畑を荒らしたり、また神社に参りにくくなったのはこれでいいのだろうかと思う。境内の奥にも石段があって建物が見えたので、付近に人に社があるか尋ねると、今は何もないそうだ。
歴史・由緒等
『国司文書 但馬故事記』
人皇六代孝安天皇の六十七年秋九月、
与佐伎命の子・布久比命を以って、小田井県主となす。布久比命は与佐伎命を都留居丘に葬る。布久比命は奈佐を開く。
明治23年10月6日大洪水で本社裏手の山が崩れ社殿が破壊されたが、そこで土流は留まり、結果的には下の集落にまで被害が及ばずに濟んだ。御祭神自らが身を挺して村を守られたといわれている。
「延喜式神社の調査」さん
境内・社叢
下鶴井集落の入り口付近に立派な社号石灯籠が立っている。
一の鳥居 最近はどこでも獣避け電線が張られている。すぐ右下の奥さんに聞いたら、外してお参りしたらいいそうなのでその通りに。
二の鳥居・拝殿 本殿前に万葉歌人の柿本人麻呂か?
本殿覆屋
境内社
石段があるので上にも境内社があるのかも知れない
本殿の右手奥に石が祀られていた。
傍らの由来石碑によると、昔、向かいの山が崩落した時、御幣が飛来し、大きな石に明かりが灯ったという伝説があり土地改良工事の際に掘り出されたものらしい。
鳥居の脇に「下宮家屋敷跡」という石碑があり、昔は、社家がここにあったようだ。
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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