式内 鍬山神社
Contents
概 要
社号 式内 鍬山神社
読み: 古 クハヤマ、現 くわやま
所在地 京都府亀岡市上矢田町
旧地名 丹波国船井郡
御祭神 大己貴尊(ああなむちのみこと)=別名:大国主
例祭日 10月24-25日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
桑田郡(クワタ):19座(大2座・小17座)
近代社格制度 旧府社
創建 和銅二年(709)
本殿様式 権現造 檜皮葺
境内摂社(祭神)
文化財
鍬山神社本殿・境内社八幡宮本殿
鍬山神社文化財環境保全地区 府文化財環境保全地区
一口メモ
山陰道/国道9号線下矢田(交差点) で斜め南に折れて 府道6号線 に入り1.2 km大鳥居が見える方へ右折してそのまま 目的地は前方右側。手前に広い駐車場があるが、境内入り口まではかなりある。
歴史・由緒等
「社頭掲示板」
鍬山神社 当社は、和銅2年(709)に創祀されたと伝えられる古いお社で、鍬山大明神または矢田社とも呼ばれていました、平安時代に著された「延喜式」神名帳にも丹波国桑田郡十九座の一つとして記載されています。
社伝等によると、亀岡盆地が湖だった頃、大己貴命(大国主命)が黒柄山に八人の神様を集め一艘の樫船に乗り一把の鍬で浮田(請田)の峡を切り開き、肥沃な農地にされたと伝えます。里人はこの神徳を称え天岡山の麓にお祀りしたのが始まりで名前も開削に使った鍬が山積みになったことから鍬山大明神と呼ばれました。
また、鍬山大明神の横に祀られている八幡宮社は、永万元年(1165)に誉田神が降臨され、以後祀られることとなりましたが、両宮の社殿が現在地に建立されたのは慶長15年(1610)亀山城主岡部長盛の時です。
なお、当社で行われていた神事芸能の一つに、現在の能楽の源流の一つともなっている「丹波猿楽」があり、平安京はもとより摂津・河内など各地に出向いて活躍していましたが、天正4年(1576)明智光秀の丹波進攻の混乱により悉く廃れたと言われています。
その後、歴代亀山城主が神領等を寄進するなど保護に努め、徐々に祭礼が復興しました。10月24・25の秋の例祭は、11基の山鉾が出て祇園囃子を奏で、口丹波の祇園祭としても親しまれています。この山鉾行事も藩主と町衆が一体となって守り伝えてきたものです。
境内・社叢
一ノ鳥居
二ノ鳥居 神楽殿(舞殿)
狛犬
本殿左 鍬山神社 本殿右 八幡宮
両拝殿
本殿
境内社
鳥居右手の境内社 百太夫神社
現地情報
地名・地誌
地図
参考
『延喜式の調査』さん、他
0件のコメント