豊岡市 神美地区(出石郡) 官社(式内社) 旧村社 兵庫(但馬国)

式内 阿牟加神社(森尾)

概 要

社 号 式内社 但馬国出石郡 阿牟加神社
読み: 古 アムカ 現 あんが?
所在地 兵庫県豊岡市森尾字アンガ
旧地名 但馬国出石郡安美郷
御祭神
天穗日命(あまのほひのみこと)
(あるいは 天湯河板擧命、あるいは 物部十千根命)
例祭日 不詳

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
大37座(就中一座月次新嘗)小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
出石郡(イツシ・いずし):23座(大9座・小14座)

近代社格制度 旧村社

創建       年代不詳
本殿様式
境内摂社(祭神)

一口メモ

昭和38年森尾集落が氏子となつている阿牟加神社・清峯神社・地下神社の三社が、森尾集落内の清峯神社に合祀された。それ以前の阿牟加神社の社地は森尾集落の南約500mメートルの山地が舌状に突出した先端近くの中腹で小字「アンガ」である。 合祀前の旧社地には本殿建物と祠、石造鳥居(一基)が残る。

式内阿牟加あむか神社は他にも豊岡市但東町虫生に同名社の式内阿牟加神社(ご祭神 物部大連おおむらじ十千根命)があり、当社もその論社となっている。

『国司文書 但馬神社系譜伝』出石郡の項に、
資母郷 安牟加神社 出石郡虫生村鎮座
祭神 物部大連十千根命
人皇54代深草天皇の承和16年秋八月、出石郡主政 従八位下 安牟加首虫生これを勧請す。安牟加虫生の祖なり。

と記載され、当社は記載がされていない。「これを勧請す」とは、どこかの安牟加神社の分社を意味する。安牟加神社と似た「アンガ」と詠む福知山市の庵我氏の庵我神社であろう。
また、
『国司文書 但馬故事記』に屯倉みやけ(三宅)が登場するのは、「人皇三十六代推古天皇十五年秋十月、屯倉を出石郡に置き、米粟を蔵し、貧民救恤きゅうしゅつ*1の用に供う。多遅麻毛里の七世孫・中島公その屯倉を管(司)る。故に家を三宅と云い、氏と為せり。(世継記には十世とある)
(中略)
人皇四十代天武天皇十二年夏閏4月、三宅吉士神床、勅を奉じ、子弟豪族を集め、兵馬器械を具え、陣法博士大生部了おおふべのさとるを招き、武事を講習す。かつ兵庫やぐらを高橋村に設け、兵器を蔵む。
大生部了は大兵主神を兵庫の側に祀る(式内大生部兵主神社:但東町薬王寺)
(中略)
人皇54代深草天皇承和十二年秋七月、但馬国出石郡無位神出石神(出石神社)に十五位下を授く。
十六年秋八月、小野朝臣吉人を以って出石郡司と為し、
安牟加首虫生を以って、出石郡主政と為す。
小野朝臣吉人はその祖。天帯彦国押人命を嘉麻土丘に祀り(式内小野神社)、
安牟加首虫生はその祖・物部十千根命を資母郷に祀る(式内安牟加神社)。」
とある。
『国司文書 但馬故事記』『国司文書 但馬神社系譜伝』ともに、森尾およびの森尾の阿牟加神社は記されていないことから、豊岡市但東町虫生にある式内安牟加神社が元の阿牟加神社であろう。薬王寺に式内大生部兵主神社があり、森尾から同じ谷奥の奥野にもに同名の式内大生部兵主神社。大生部兵主神社2つの論社があり、関連がみられる。

*1 恤 (音読み)「シュツ」「ジュツ」、(訓読み)「うれえる」「あわれむ」
意味…心配する。情けを掛ける・。めぐむ。

歴史・由緒等

 創祀年代は不詳。

中古火災に罹り社殿、古文書、宝物悉く烏有に帰す。
明治6年(1873)10月村社に列し、大正13年(1924)社殿を再築す。

「兵庫県神社庁」

 

 

境内・社叢

  
社号標             参道 細い道だがよく整備されている

 
参道


鳥居跡

  
鳥居か常夜灯の礎石                 境内

  
本殿覆屋


本殿

地名・地誌

地 図

兵庫県豊岡市森尾字アンガ

交通アクセス・周辺情報

森尾古墳「三角緑神獣鏡」全国で三角縁神獣鏡のうち、銘文中に魏の年号が記された鏡が4面ある。
一面には中国の年号である「正始元年」で始まる文字が刻まれている。また、同時に見つかった鏡の一つが1世紀に中国でつくられた近畿で最古級の「方格規矩四神鏡」であることがわかった。

参 考

「兵庫県神社庁」「延喜式の調査」さん、他

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