洛中 京都市 京都(山城国)

元祇園梛神社(式内 隼神社)

概 要

社号 元祇園梛神社 通称:梛ノ宮神社・式内社 左京四條坐 隼神社
読み: はやふさのじんじゃ・なぎじんじゃ
所在地 京都市中京区壬生梛ノ宮町17
旧地名 山城国葛野郡
御祭神
梛神社 素盞嗚尊 配祀 宇賀御魂命 伊弉冉命 誉田別尊
式内社 左京四條坐一座 並大 隼神社 建甕槌神 配祀 経津主神
ただし、国史では祭神は「隼神」と記載されている。
例祭日
(梛神社)5月17日 (隼神社)11月17日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
京中坐神三座 並大
左京四條坐一座

近代社格制度

創建    (梛神社)貞観11年(876年)
本殿様式  流造

境内摂社(祭神)

田中神社 祭神:地主神(じぬしのかみ)
稲荷社  祭神:上川稲荷大神(かみかわいなりおおかみ)

一口メモ

壬生寺の北、四条通坊城通交差点の南西角にある。かつて新撰組ゆかりの壬生屯所を訪ねた際に、立ち寄ったことがあった。

歴史・由緒等

隼神社は、式内社・隼神社に比定されている古社。
貞観二年六月十五日、従五位下の神階を授けられ
貞観七年、貞観十年、貞観十六年と級階を累進して従四位上となった神社。
延喜の制においては大社に列し、四度官幣を受けたという。
大正七年(1918)、蛸薬師坊城からこの地に移祀された。

梛神社は、清和天皇貞観十一年京都に疫病が流行った時、
悪疫を祓い病を鎮めるために牛頭天王の神霊を播磨国広峰より勧請したもの。
当地に数万本の梛の木があったため梛神社という。
貞観年間、京の悪疫退治のため牛頭天王(素戔嗚尊)の神霊を播磨国広峰から勧請して鎮疫祭を行ったが、 このときその神輿を梛の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであるという。後に祭神を東山八坂(今の八坂神社)に遷祀したとき当地の住人は花を飾った風流傘を立て、鉾を振り、 音楽を奏して神輿を八坂に送った。これがのちの祇園会の起源といわれる。 また、当社は八坂神社の古址にあたるので元祇園社と呼ばれる。維新の頃は田圃の中の一小祠であったが、 明治七年(一八七四)と昭和四年(一九二九)の復興を経て現在に至った。

隼神社は延喜の制度の「京中坐神三座 並大 左京四條坐神一座 月次新嘗」の一つの大社で、洛中に残る唯一の式内社。「三代実録」の860年(皇紀1520)貞観2年の条に、「授後院無位隼神従五位下」とあり、朱雀院の中に鎮守社として祀られていたといわれる。
その後、四条坊門坊城に移され、大正七年(一九一八)蛸薬師坊城からこの地に移祀された。

梛神社とともに厄除け、疫病払いの神である。
隼神社は「ハヤクサ」と訛り、瘡神(くさのかみ)ともいうらしい。

境内・社叢

鳥居

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社号標 元祇園梛神社・式内 隼神社

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東側鳥居

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狛犬

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向かって左 梛神社 右 隼神社

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境内社

地名・地誌

地 図

京都市中京区壬生梛ノ宮町17

交通アクセス・周辺情報

阪急電鉄京都線「大宮駅」より西へ徒歩約4分
京福電気鉄道嵐山本線「四条大宮駅」より西へ徒歩約4分
京都市営バス「壬生寺道」下車
(四条通坊城南西角の交差点にあり壬生寺の約200m北に位置する)

参 考

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