雲南市(飯石郡) 官社(式内社) 旧府社・県社 島根(出雲国)

式内 飯石神社

概 要

社号 式内社 出雲国飯石郡 飯石神社
読み:古 イヒシ、現 いいし
「飯石社」『出雲国風土記』
所在地 島根県雲南市三刀屋町多久和1065
旧地名 出雲国飯石郡
御祭神
伊毘志都幣命(いひしつべのみこと)
例祭日
例祭 11月4日(出雲大社宮司御参向)

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
飯石郡[イヒシ(イヒス)]:5座(並小)

近代社格制度 旧県社

創建     年代不詳(最初の記録は天平5年(733)「飯石社」『出雲国風土記』。それ以前)
本殿様式    本殿なし

境内摂末社(祭神)

境内社 託和神社 (託和社 出雲風土記所載社)
祭神 吉備津彦命

一口メモ

奥出雲町三沢から雲南市(かつての飯石郡)三刀屋町へ。国道314号線で18km、約30分。途中に出雲湯村温泉と温泉神社がある。飯石郡には式内社が5社ある。飯石小学校まではすぐ行けたが、ナビの場所が異なり、手前の北の谷に行ったり来たり時間をとられてしまった。神社はもっと奥の北西に県道から神社らしき杜を発見したが、行き方が分からず、後戻りして川沿いに細い参道を見つけた。ナビの住所は、旧社地の付近より西日本最古の縄文土器が発見された場所だったのだ。山裾の細道に発掘場所が保存されている。

歴史・由緒等

出雲国風土記の「飯石社」に相当する。祭神の天降られた磐石を御神体とし、二重の玉垣で囲み本殿にかえている。
出雲国造が御幣を奉られる幣殿に、通殿、拝殿を配し直接御神体を正面から拝むことができる。磐座という古代の聖地祀形態を今に伝えている。またこの地を命の降臨の聖地として注連縄を用いず、境内には他の神社に見られる摂社・末社は勿論、随神門、燈篭、狛犬もなく、純粋に古来の伝統をそのままに継承している。

命の天降られた磐石を御神体とし、二重の玉垣で囲み本殿にかえている。
出雲国造が御幣を奉られる幣殿に、通殿、拝殿を配し直接御神体を正面から拝むことができる。磐座という古代の聖地祀形態を今に伝えている。またこの地を命の降臨の聖地として注連縄を用いず、境内には他の神社に見られる摂社・末社は勿論、随神門、燈篭、狛犬もなく、純粋に古来の伝統をそのままに継承しているのも持殊である。又境内の辺より祭祀遺跡が発見され学会の注目を集めている。
出雲風土記によれば飯石郡、飯石郷の地名起源を、この地に「伊毘志都幣命が坐すためである。」と記している。
これは命が本郡開拓の産土大神であるからに外ならない。命は亦の御名を天夷鳥命と申し、天照大御神の第二の御子、天穂日命の御子であり出雲国造家の御祖神にあたり、例祭は千家出雲国造御参向の上執り行われる。又大国主命の国土奉還に祭しては熊野諸手船にて美保之関へ事代主命を尋ね、その大業を成就された。美保神社で行われる諸手船神事は、この故事によるものである。尚当社は古来飯石郡中の総氏神として郡中より幣帛を奉り、歴代の藩主、歴代知事の参拝相継ぎ、島根県神社庁より特別神社としての指定を受けている。
境内社 託和神社(出雲風土記所載社)
祭神  吉備津彦命
古来、中野、六重、神代、深野、上山・曽木・川手・七ケ村の総氏神であった。明治四十四年旧社地より・この地に遷し、八幡宮も合祀された。旧社地の付近より西日本最古の縄文土器が発見されたのは周知の通りである。

「社頭掲示板」境内・社叢

  
社叢                   鳥居

  
境内                   手水鉢

  

拝殿                   本殿覆屋

板張りを開閉するとは思えないし賽銭箱もないので、通常の参拝は直接いわ座で行うのだろうか?


本殿と磐石を囲む玉垣

飯石の地名はこの磐石を祀る飯石社から由来していると思う。

  
命の天降られた磐石を御神体とし、二重の玉垣で囲み本殿にかえている。

  
唯一の境内社 託和神社

地名・地誌

飯石郡(いいしぐん)飯石村

1954年(昭和29年)三刀屋町・飯石村・鍋山村・中野村が合併して三刀屋町となった。(4町6村)
2004年(平成16年)掛合町・三刀屋町・吉田村が大原郡木次町・加茂町・大東町と合併して雲南市となり郡より離脱。2005年(平成17年)1月1日 赤来町・頓原町が合併して飯南町となった。(1町)

地 図

島根県雲南市三刀屋町多久和1065

交通アクセス・周辺情報

参 考

『延喜式神社の調査』さん、他

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