橿原市 旧郷社 奈良(大和国)

式内 鷺栖神社

概 要

社号 式内社 大和国高市郡 鷺栖神社 靫
読み:古 サキス、現 さぎす
所在地 奈良県橿原市四分町字門之脇305
旧地名 大和国高市郡
御祭神 天照皇太神(あまてらすすめおおかみ) 譽田別命(ほむだわけのみこと) 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
例祭 9月15日 例祭

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
高市郡(タケチ):54座(大33座・小21座)
式内社(靫)

近代社格制度 旧郷社

創建     年代不詳
本殿様式   流造

境内摂末社(祭神)

ナシ

一口メモ

田原本町から橿原市、明日香村、桜井市は、条里制が正方形のまま残る大穀倉地帯にかつての村落が点在しそこに式内社があるので、延喜式神名帳にあるエリアの小さな城下郡、十市郡、高市郡、十市郡の旧郡名が現在の行政エリアに入り交じっていて、同じような風景に見えるからややこしい。藤原京跡まで来て鷺栖神社がどっちにあるのかしばらく迷った。

歴史・由緒等

飛鳥川中流東岸、堤防の下の低地に鎮座している。

當社は里人鷺栖八幡と稱し延喜式神名帳鷺栖神社靭とあり、古事記垂仁天皇紀の段に鷺栖池の記事と釋日本紀所引氏族略記には鷺栖坂の記事も玉林抄に按するに鷺栖の地名今四分村に在りと云ふ又、池坂も神社の附近にありました。
四分の地名は昔遊部と云ひましたがしらずしらずの永い間に四分と云ふ名になりました。又上記御祭神をもって大和三山の中心地点に創立されたのでありますが、その年代は詳かでありませぬ。しかし、延喜式内社としてふるくからひろく知られてゐることから考へてみると、たしかに千数百年以前の創立にかかるものとおもはれ、まさに藤原京以前の旧社であることは、うたがい得ぬ事実であります。
古事記によれば垂仁天皇の皇子たる本牟智和気皇子が出雲大社に御参拝の折、ここにおたちよりになり御祈願あらせられたことになっております。
なほ、大和志巻十四に「鷺栖神四分村に在り、中古より鷺栖八幡と称せられ武神として崇敬高く、次で安産の守護神ともなり地方人からあがめられた」といふ意味あひのことが記されています。なほ同じく大和志に「鷺栖八幡」と称し、城殿、小房、縄手、醍醐、四分の五大字で祭祀にあづかるといふことが記されて居ます。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年-
-「延喜式神社の調査」さんより-

境内・社叢

  
参道鳥居(堤防から望む)     

  
境内脇鳥居(車道に近いこちらから入った)       手水舎

  
割拝殿                        社殿(拝所・本殿)

   
狛犬

  
本殿                   社務所?

地名・地誌

四分
「玉林抄」に按するに鷺栖の地名今四分村に在りと云ふ。

「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点に、大和高取藩領四分村
明治22年(1889年)4月1日 – 町村制の施行により、以下の村が合併し白橿村が発足。
久米村、鳥屋村、南妙法寺村、池尻村、吉田村、畝傍村、石川村、五条野村、大軽村、木殿村、見瀬村、田中村、四分村、大久保村、御坊村、和田出屋敷村、和田村、四条村、山本村、洞村(山本村枝郷)[現・橿原市]

昭和3年(1928年)2月11日 白橿村が町制施行・改称して畝傍町となる。(4町10村)
昭和31年(1956年)2月11日 畝傍町・鴨公村・八木町・今井町・真菅村が磯城郡耳成村と合併して橿原市が発足し、郡より離脱。(1町6村)

地 図

奈良県橿原市四分町305

交通アクセス・周辺情報

近鉄橿原線畝傍御陵前駅 東北800m


藤原宮跡
(神社の前に広大な平地がある)

藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は、藤原京の中心施設である藤原宮のあったところです。藤原宮は一辺約1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を合わせた性格を持っていました。藤原京は16年間の都でしたが、藤原宮の構造はその後の都にも引き継がれていきます。

藤原京はわが国最初の都。その16年の栄華は、日本の歴史上に大きな役割を果たしました。藤原京は、中国の都城制を模して造られた日本初の本格的な都城でした。持統天皇が飛鳥から藤原の地に都を遷したのは694年のこと。新たな都の造営は、亡き夫・天武天皇を意志を受け継いだ中央集権国家の確立には欠かせない一代事業でした。その大きさは、東西方向約5.3km、南北方向4.8kmで、平城京、平安京をしのぐ古代最大の都です。藤原京時代には大宝律令が制定され、貨幣も発行されました。初めて「日本」という国号を使用したのも藤原京を発した遣唐使でした。

「橿原市公式ページ」

参 考

「延喜式神社の調査」さん

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