豊岡市日高町(気多郡) 西気・清滝地区(気多郡太多郷) 村社 兵庫(但馬国)

村社 国主神社(豊岡市日高町太田)

概 要

社号 国主神社
國主神社
読み:古 、現 くにぬし
『但馬神社系譜伝』太多神社
所在地 兵庫県豊岡市日高町太田1
旧地名 但馬国気多郡
御祭神 主祭神 大国主命(オオクニヌシノミコト)
配祀神 祓戸四柱神(ハラヘドヨハシラノカミ)
例祭日 9月6日

社格等

式外社
近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳(太多神社 人皇31代敏達天皇13年(584))
本殿様式   流造

境内摂末社(祭神) なし

一口メモ

太田の集落内の西にある区公民館の裏手の丘。

歴史・由緒等

由 緒
創立年月不詳
近世国皇明神と称せしを明治3年(1870)国主神社と改称し、同年正遷座祭を行えり。
明治10年(1877)10月村社に列し、同42年(1909)一ノ宮、濯、小野の3神社を合祀せり。
-「兵庫県神社庁」-

『国司文書・但馬故事記』

人皇31代敏達天皇13年(584)春3月、止美連吉雄(とべのむらじよしお)を以って、多遅麻国造と為す。
吉雄は、その祖大荒田別命の子、多奇波世君の弟・田道公を多他村に祀り、止美神社と称え祀る。(止美は今の十戸、名神大 戸神社)
また多他毘古命を多他丘に祀り、太多神社と称え祀る。
田道公の子孫は田道村に在り、田道公を斎き祀る。これ田道に坐す一宮神社なり。

『国司文書・但馬故事記』

太多郷 太多神社 気多郡太多村鎮座 (式外社)
祭神 大国主命・太多毘古命
人皇四十一代持統天皇の四年秋九月、太多公これを祀る。

境内・社叢

2014-09-11 11.52.15  2014-09-11 11.52.33
社号標         鳥居

2014-09-11-11.52.50  2014-09-11 11.53.20

能舞台             能舞台の右手に参道石段と狛犬

2014-09-11 11.54.55  2014-09-11-11.55.11

境内              社殿 (本殿覆屋)

2014-09-11 11.55.23  2014-09-11 11.55.31

拝殿狛犬

2014-09-11-11.55.41  2014-09-11-11.57.52

拝殿の彫刻           覆屋内本殿

地名・地誌

太田(ただ)

太多郷
「但馬郷名記抄」
山守郡(コオリ)…石作部(今の石井)・太多村(今の太田)・止美部(村)(今の十戸)・壬生部・稲葉(古語は以奈婆)・巨智部(今の東河内?)・秦部・的部(今の万場?)・錦部
栗栖・太刀宮(神社地から今の庄境)・田口・羽知(今の羽尻)

「倭名類聚抄」太多郷

十戸・比垣(コロガキ・今の頃垣)・漆垣・山(ノ)宮・石井・太多(今の太田)・杤本(今の栃本)・東河内(ヒガシゴウチ)・水口(ミノクチ)・稲葉(イナンバ)・萬却(マンゴウ・今の万却)・山田・萬場(今の万場)・名色(ナシキ)・栗栖野(クリスノ)・荘境(今の庄境)・久田谷・田(ノ)口・羽尻の19邑

『校補 但馬考』に、以上の記載の後、
この郷は七美・美含の隣にて、郡の西の境なり。これより三方・楽前まで三郷34村。これを西下谷(ニシノゲダニ)と称する。この内、漆垣村は、今は絶えたり。とある。

地 図

兵庫県豊岡市日高町太田1

交通アクセス・周辺情報

参 考

「兵庫県神社庁」

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