豊岡市 日高地区(気多郡日置郷・高田郷・高生郷・養父郡) 豊岡市日高町(気多郡) 旧村社 兵庫(但馬国)

村社 岩舩神社(豊岡市日高町道場)

概 要

社号 岩舩神社
読み: イワフネ
岩船神社 『日高村郷土誌』
所在地 兵庫県豊岡市日高町道場字山田10-2(白鳥上290)
旧地名 気多郡楽々前(佐々前)郷伊原(のち高田郷)

御祭神 
主祭神 石船長命(磐船長命)いわふねおさのみこと
配祀神 高咩神たかおかみのかみ 「兵庫県神社庁」
祭神不詳 『日高村郷土誌』
天磐船長命 『国史文書・但馬故事記』

社格等

近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳
本殿様式
境内摂社(祭神) 天神社・荒神社・稲荷神社・毘沙門天社

一口メモ

地元周辺でも普段知らない場所がたくさんある。7月の暑い盛り、ぶらっと訪ねてみる。稲葉川イナンバガワを渡り、軽自動車なら行ける幅の平坦な道を川沿いに450m、しばらく歩くと鳥居が見えてくる。鳥居をくぐると長い石段が続き、石段をくの字に右に曲がると社が見えてきた。付近の人に尋ねてみると、地元の区ではもう一つ粟嶋神社が秋祭りや区の中心となっていて、この神社は普段訪れる人は少ない存在感のない小さな社のようだ。

神社は、楽々前ササノクマ城があった尾根の北麓にある。蒸し暑い真夏にあっても、時が止まっているような静寂さを感じる。半世紀もすぐ近くに生まれ育ち、つい最近までこの神社を全く知らなかったのである。おそらく神社に関心がなければ誰も知らないままであろう。

稲葉川は、旧気多ケタ郡(日高町の全域と豊岡市・竹野町の一部)の、最も奥深い村落である稲葉イナンバ区から源を発し、但馬の大川、円山川マルヤマガワに注ぐ郡域で最も大きな川。その銅鐸ドウタクが発見された場所と神社を訪ねてみることにした。

石段を登りきり北に広い田園一帯が見渡せる。北の銅鐸発見場所の方を見守るように建っている。これは河内・日下や大阪交野市の磐船神社などと同じく、銅鐸のすぐそばに物部氏ゆかりの神社が存在することを実証しているような感触を得た。気多王と一族の栄華を誇ったであろう古代のロマンを、あたかも静かに見守っているかのようにも思えます。
道場の西に続く久田谷は、全国でも珍しい、粉々に破壊された銅鐸片が出土した場所でもある。そのそばを流れる稲葉川の対岸には、物部氏ゆかりの「天磐船長命(イワフネオサノミコト)」を祀る岩舩神社がある。つい最近までここに神社が存在することも知らなかったのだ。

歴史・由緒等

創立年月不詳

天磐船長命此の地方を開きて此の地に留まり磐船宮に鎮り給いぬ。是当社にして明治6年(1873)10月村社に列し同43年(1910)社殿火ありて後再建す。

-「兵庫県神社庁」-

磐船神社は、当村65戸の鎮守神。当社創建については一、ニの古伝説あれど共に取るに足らず。往年までは多少の古記もありぬる由なれど、乞食が社殿に入りて住まい、当時御神体までも焼棄いたりと云えば、その時に失いしものなるべし。今拠りて証するに足るもの一つもなし。
出石村内宝暦九年神社書上に
一 岩船妙見社 八尺✕ニ四尺
右は凡そ九百年余り以前に勧請仕、社は五十年以前に建立仕候。
とあれば、定めて由緒ある古社なりしなるべきも、今は祭神並びに祭祀の理由を詳にせず。
境内24坪を有し、道場の滝、一名稚児の滝を臨んで鎮座す。

『郷土誌日高村』

『国司文書 但馬故事記』第一巻・気多郡故事記の冒頭はここよりはじまる。

年代

天照国照天火明命あまてるくにてるあめのほあかりのみこと国造大巳貴命くにつくりおおなむちのみことの勅を奉じ、

両槻天物部命なみつきのあまつもののべのみことの子佐久津彦命をして佐々原を開かしむ。
佐久津彦命は篠生原しのいくはら*1に御津井を掘り、水を灌ぎ、御田を作る。後世その地を名づけて、佐田稲生原と云う。いま佐田伊原と称す。気多けた佐々前邑ささくまむらこれなり。
佐久津彦命は佐久宮(佐久神社)にいます。
天火明命の供奉ぐぶの神、天磐船長命あめのいわふねのおさのみこと磐船宮いわふねのみや(豊岡市日高町道場山田10-2 白鳥上290)に坐す。(…岩舩神社)
天磐船長命は天磐樟船命あめのいわくすふねのみことの御子なり。
佐久津彦命は、嶋戸天物部命しまへのあまつもののべのみことの女(娘)佐々宇良姫命をめとり、佐伎津彦命・佐久田彦命を生む。(佐久田は現在の久田谷の久田の語源か?)
佐伎津彦命は佐々前県主ささくまあがたぬしなり。
人皇一代神武天皇九年冬十月、佐久津彦命の子 佐久田彦命を以って佐々前県主と為す。(…現在の佐田)
佐久田彦命は国作大己貴命を毛立丘に斎き祀る。これを気立神社と称しまつる。
また佐久津彦命を佐久宮に斎き祀る。

場所的にも付近に磐船神社は当社しかないので、『国司文書 但馬故事記』にある磐船宮はこの近辺にあったであろう。山名四天王垣屋氏の本拠楽々前城のあった楽々前山の北東麓に鎮座する。楽々前城は佐田からの楽々前城と楽々前古城があり、そちらは道場の当社に近い位置にあったことや、佐々原はいま佐田伊原と称すとあり、佐田伊原は同じ佐々前(のち楽々前郷)であったので、道場区の稲葉川南岸は楽々前郷伊原はここをいうのだと思われる。北岸の久田谷が太多郷であり、今の夏栗は古くは高田郷矢集やづめ村といい、式内高負神社、式内久斗寸兵主神社のある久斗は古くは高田村で高田郷の中心であったので、3つの郷の境に位置し、垣屋氏の本拠楽々前城が築かれたことからも、但馬や気多郡の交通の要所だったことは間違いない。

ともかく、『国史文書・但馬故事記』によれば、気多郡で最初に登場する神社は佐田の式内佐久神社と気多神社で、人皇1代神武天皇9年冬10月とある。岩舩神社は、磐船宮として最初から天火明命の供奉ぐぶの神、天磐船長命あめのいわふねのおさのみことを祀ったのなら、佐久神社や気多神社より先で、旧日高町(気多郡)最古との神社となる。

『国司文書・但馬故事記』によれば、旧日高町(気多郡)で最初に開かれた場所は、佐田伊原のようだ。そして但馬で銅鐸が見つかったのは豊岡市気比の4つの完全銅鐸(式内気比神社そば)、豊岡市佐野の式内女代そばから銅鐸片が、そしてここ久田谷銅鐸で、しかも100数片の銅鐸片はなぜ粉々までに破壊され埋められたのだろうか(発見場所はミニストップ前の国道482号線辺り)?物部氏と縁のある銅鐸と磐船命を祀り、3つの郷(庄)の境が交わるこの周辺は、のちに但馬最初の軍団として気多団が高田(今の久斗)に置かれ、式内兵主神社がある。

東西に細長い気多谷といわれた久田谷から東構までは防衛・交通の要所であり、土地争いがあったことも考えられ、面白い場所なのだ。

磐船長命(イワフネオサ)

磐船神社 「饒速日命(ニギハヤヒ)」 大阪府交野市私市
物部氏の遠祖神とおつみおや 天孫饒速日命
天の磐船を御神体とする饒速日命降臨の聖地です
石切剣箭神社 「饒速日命」 東大阪市上石切町2丁目(上ノ宮)
気多郡
岩船神社 「磐船長命」 豊岡市日高町道場字山田10-2 白鳥上290
城崎郡
物部神社 「磐船長命」 豊岡市飯谷字落シケ谷50-1

『国司文書 但馬故事記』第一巻・気多郡故事記は、に

かつて人皇1代神武天皇9年冬10月、佐久津彦命の子佐久田彦命を以って佐々前県主とした。その居館があったかも知れない

境内・社叢

  
長い道を進むと神社が見えてくる           鳥居

  
御神燈                       長い石段の参道

  
拝殿                        社殿(本殿覆屋)

  
社殿                        本殿

右手境内社

地名・地誌

道場(どうじょう)

佐田稲生原 今 伊原 『国史文書・但馬故事記』

『国史文書・但馬故事記』に、

の子佐久津彦命をして佐々原を開かしむ。

佐久津彦命は篠生原しのいくはら*1に御津井を掘り、水を灌ぎ、御田を作る。

後世その地を名づけて、佐田稲生原と云う。いま佐田伊原と称す。気多けた佐々前邑ささくまむらこれなり。」とあるので、地名は篠(しの・ささ)が生い茂った原をさしていると思う。篠が佐田に、稲生原が伊原に転訛した、“ささ”を“しの”と読むと篠民部で、今の篠垣につながる。

佐々前郷は、楽前郷と書くようになり、江戸時代まで、楽々前郷 伊布(今は伊府)・佐田・伊原(今は道場)・野中(今は野)・篠民部(今は篠垣)

『郷土誌日高村』

大字 道場村

佐田伊原は稲葉川以南をいうのか、それより対岸のどこまでをさすのかは不明だが、篠垣、伊府が稲葉川以北であるから、佐田は以南であるから、伊原も稲葉川以南で、『郷土誌日高村』に「当村(道場)字市場に寺院の旧趾と称す地あり。伝説によれば、佐田城主垣谷隠岐守の菩提寺にして、西方寺と称し、禅宗に属する巨刹なりしと伝説に残れるも、証になるに足るべき跡なし」。また的場 字市場的場の旧趾あり。垣谷氏在城の際、的場を設けられたる蹟なりと。」などから、楽々前城下の西の下(西気)道沿いに市場が置かれていたようだ。楽々前城築城の中世以降には、伊原から道の市場が地名として道場と称するようになり、「どうじょう」と云うようになったのではないだろうか。

地図

兵庫県豊岡市日高町道場10-2

交通アクセス・周辺情報

参 考

2005年7月11日、2015年8月15日再度撮影