山東町 朝来市 旧村社 兵庫(但馬国)

村社 霧尾岩谷神社(朝来市山東町和賀)

概 要

社 号 霧尾岩谷神社
読 み きりおいわたにじんじゃ
和賀山神社 武額明命たけぬかがのみこと(若倭部連の祖・美伊(美含)県主) 『国司文書 但馬故事記』
所在地 兵庫県朝来市山東町和賀11
旧地名 但馬国朝来郡粟鹿郷和賀村
御祭神 岩谷大神・霧尾大神
例祭日 岩谷神社10月17日 霧尾神社 10月15日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建   年代不詳
本殿様式

境内摂末社(祭神)

稲荷神社、他1社

一口メモ

グーグルマップにチェックしていた神社の所在地を目指して歩き始めると右手に赤い鳥居が見える。どうも違うようだ。引き返して赤い鳥居の方へ歩くと真新しい神社がある。

歴史・由緒等

岩谷神社

宝暦12年(1762)の創立にして明治6年(1873)10月村社に列せらる。

 

霧尾神社

創立年月不詳

明治6年(1873)10月村社に列せらる。

「兵庫県神社庁」

人皇44代元正天皇霊亀2年春3月 荒島宿祢の子、乙主(一に磯主)を以て、朝来小領に任じ、養老7年朝来大領に任ず。
若倭部貞良を以て、主政に任じ、
忍阪連仲麿を以て、主帳と為す。
若倭部貞良はその祖、武額明命を和賀丘に祀る。
(中略)

『国司文書 但馬故事記』第二巻・朝来郡故事記

現在、和賀区には当社と他に霧尾神社があり、どちらも村社であるが、『国司文書 但馬故事記』に「若倭部貞良はその祖、武額明命を和賀丘に祀る」とあるから、
地図を見ると元は集落の北の丘(和賀丘)にあったようで、新しい社地にある扁額は「霧尾岩谷神社」となっている。近所におられた方にお尋ねすると昨年(2016)に新しくしたそうだ。現在地に岩谷神社と国道の南にあった村社霧尾神社(霧尾大神)を合祀したと推察できる。

『国司文書 但馬故事記』第二巻・朝来郡故事記、第六巻・美含郡故事記より

人皇9代開化天皇40年秋9月 丹比宿祢の遠祖・天忍男命の子、若倭部連の祖、武額明命タケニカガノミコトを持って。谿間美伊県主(のちの但馬国美含郡)と為す。

人皇10代崇神天皇10年秋9月、丹波国青葉山の賊、陸耳御笠群盗を集め、民物を略奪す。その党狂ノ土蜘蛛多遅麻に入り、猩獗ショウケツ*1を極む。(中略)
天皇 彦坐命に勅して、これを討たしめ給う。
陸耳御笠連れて、谿間の海上に浮かぶ。彦坐命は丹波道主命とともに、朝来直の祖・天砺目命、谿間若倭部連の祖・武額明命、丹波国造の祖・倭得玉命、谿間竹野別の祖・当芸利彦命、大久米命の裔・天靭負命らを率い、舟氏を師て、大いに海上に戦う。

(中略)

彦坐命は船と成りし大アワビを拝して神霊と為し、これを奉じて、皇都に凱旋す。天皇は其の功を賞して、丹波・多遅麻・二方の三国を(彦坐命に)賜う。12月、彦坐命は諸将を率いて、多遅麻粟鹿県に下り、アワビは塩ケ渕に放つ。水枯れたるのち牧田の高山の麓の穴渕に放つ(のち式内赤渕神社に祀ると云う)。諸将を各地に置く。(中略)天皇勅して、姓を日下部宿祢と賜い、諸国に日下部を定め、これを彦坐命に賜う。

武額明命はのち大和国に従く。冬10月武額明命の子・武波麻命を以て美伊県主と為す。

*1猩獗 悪い物事がはびこり、勢いを増すこと。猛威をふるうこと。

境内・社叢


境内

  
手水                       本殿覆屋


本殿

  
                         稲荷神社

地名・地誌

地 図

兵庫県朝来市山東町和賀11

交通アクセス・周辺情報

JR山陰本線「梁瀬駅」より南東へ1700m

参 考

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