二十二社(中七社)・名神大 大和国一宮 大神(おおみわ)神社(奈良県桜井市三輪)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 大神神社
読 み: 古 オホムワノ、現 おおみわ
大和国城上郡 大神大物主神社 名神大 (月次相嘗新嘗)
別名 三輪明神・三輪神社

所在地 奈良県桜井市三輪1422
旧地名 大和国城上郡
御祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
配祀 大己貴神(おおなむちのかみ) 少彦名神(すくなひこなのかみ)
ご神体 三輪山(神体山)
例祭日 4月9日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座 大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
城上郡[シキノカミ]:35座 大15座 小20座
式内社(名神大)

中世社格制度 二十二社(中七社)
近代社格制度 官幣大社
社格制度廃止後(現在) 別表神社

創建     不詳
本殿様式   本殿なし

境内摂社(祭神)

大神神社の摂社は12社を数え、そのうち7社は延喜式内社で、いずれも明治10年(1877)摂社に列している。ここでは、式内社以外の摂社5社について記す。

式内社である摂社

・日向神社(ヒムカ) 式内・神坐日向神社 祭神:櫛御方命・飯肩巣見命・建甕槌命 桜井市三輪字御子ノ宮 (別項・日向神社・高宮神社参照)

・桧原神社(ヒハラ) 式内・巻向坐若御魂神社 同三輪字桧原(論社あり)祭神:天照大神若御魂神・伊弉諾尊・伊弉册尊
第十代崇神天皇の代に、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が天照大御神を祀ったのが創祀で、大御神が伊勢に鎮座された後も祀り続けられてきたとされ、したがって「元伊勢」ともよばれているようである。 (別項・桧原神社参照)

・狭井神社(サイ) 式内・狭井坐大神荒御魂神社五座 祭神:大神荒魂神 同三輪字狭井
病気平癒の神社。御神体である三輪山への登拝口が境内にある。但し、三輪山は御神体であり山そのものが神域であるため、軽率な気持ちで入山することは出来ない。(明治に渡るまで「神域」として一般の入山禁止であった。)(別項・狭井神社参照)

・綱越神社(ツナコシ) 式内・綱越神社 祭神:祓戸大神 同三輪字大鳥居
大鳥居の南。夏越の社とも言われ、旧六月晦日の大祓、「夏越祓」が厳粛に行われる古社として広く世に知られ、社名の綱越は、夏越から転訛したといわれる。 (別項・綱越神社参照)

・玉列神社(タマツラ) 式内・玉列神社 同慈恩寺 祭神:玉列王子神・天照大御神・春日大神 旧指定村社であったが、大正10年大神神社の境内摂社となった式内社。(別項・玉列神社参照)
・率川神社(イサカワ) 式内・率川坐大神御子神社三座 奈良市本子守町 (別項・率川神社参照
・率川阿波神社(イサカワアワ) 式内・率川阿波神社 祭神:事代主神 率川神社境内 率川神社参照

その他の摂社

・高宮神社(コウノミヤ) 桜井市三輪字神峯(三輪山山頂)
・活日神社(イクヒ) 同三輪字活日川
・磐座神社(イワクラ) 同三輪字大黒谷
・神御前神社(カミノゴゼン) 同茅原字神御前
・大直禰子神社(オオタタネコ)(若宮社) 同三輪字若宮
祭神:大直禰子・少彦名命・活玉依姫命
明治の廃仏毀釈までは大神寺あるいは大御輪寺と呼ばれる神宮寺の1つであり、現在聖林寺にある十一面観音菩薩立像を本尊としていた。社殿は入母屋造本瓦葺きの仏堂形式で、数回にわたって大規模改修された末に室町時代に現在の形態になり、内陣の部材には奈良時代のものが含まれることが近年の解体修理に伴う部材調査で判明している。

末社

久延彦社 – 祭神:久延毘古命。合格祈願の神社
大行事社 – 祭神:事代主神、八尋鰐、加屋奈流美神
ほか多数

文化財

重要文化財(国指定)

大神神社 拝殿(附 棟札)
大神神社 三ツ鳥居(附 瑞垣)
大神神社 摂社大直禰子神社社殿
朱漆金銅装楯
紙本墨書周書 巻第十九

史跡(国指定)

大神神社境内

一口メモ

奈良市から桜井市へ南北にまっすぐ延びる国道169号線に大きな駐車場があり、大鳥居がそびえる。夕刻になりとても数多くの摂社を回り切れないのを覚悟で境内そばまで車で行き参拝した。また後日にゆっくりと摂社ともに参拝したい。

歴史・由緒等

大神神社(おおみわじんじゃ)は、国のまほろばと称えられる大和の東南に位置する
円錐形の秀麗な山、三輪山を御神体として、大物主神を祀る。
日本で最古の神社の1つとされる。三輪山そのものを神体(神体山)としており、本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。自然を崇拝するアニミズムの特色が認められるため、三輪山信仰は縄文か弥生にまで遡ると想像されている。拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものである。例年11月14日に行われる醸造安全祈願祭(酒まつり)で拝殿に杉玉が吊るされる、これが各地の造り酒屋へと伝わった。

摂社の檜原神社は天照大神をはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑」(やまとのかさぬいのむら)の地であると伝えられ、元伊勢の一つとなっている。また、作者不詳の能「三輪」ではキリ(終りの部分)の歌に「思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。今更、なんと、いわくら(磐座・言わくら)や」との言葉があり、伊勢神宮との関係が示唆されている。

なお、全国各地に大神神社・神神社(美和神社)が分祀されていることについては、既に『延喜式神名帳』(『延喜式』巻9・10の神名式)にも記述がある。その分布は、山陽道に沿って播磨(美作)・備前・備中・周防に多い。吉備国を征服する時に大和王権によって分祀されたのではないかと推測されている。

遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)(大国主神(おおくにぬしのかみ)に同じ)が、 自らの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を三輪山にお鎮めになり、大物主神(おおもの ぬしのかみ・詳しくは(やまとのおおものぬしくしみか たまのみこと))の御名をもってお祀りされたのが当神社のはじまりであります。それ故に、本殿 は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられて おり、我が国最古の神社であります。

大三輪之神(おおみわのかみ)として世に知られ、大神をおおみわと申し上げ、神様の中の大神様 として尊崇され、各時代を通じ、朝野の崇敬殊に篤く、延喜式内社・二十二社・官幣大社として最 高の待遇に預かり、無比のご神格がうかがわれます。

『神社公式サイト』

大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。また国の守護神(軍神)、氏族神(太田田根子の祖神)である一方で祟りなす強力な神(霊異なる神)ともされている。
大物主神にまつわる伝承は多いが、その中には、当社の付近にある箸墓古墳と関連するものもある。

記紀には、次の記述がある。大国主神(大己貴神)は出雲国を拠点に国造りに励んでいたが、協力者である少彦名神が常世国に去ったため思い悩んでいると、突如、海原を照らして神が出現した。その神は「吾はお前の奇魂幸魂である」といい、「吾は大和国、三輪山に住みたいと思う」といったという。その神が大物主神であるが、大物主神は大国主神の子孫であるという説もある[6]。
崇神天皇7年に天皇が物部連の祖伊香色雄(いかがしこを)に命じ、三輪氏の祖である意富多多泥古(太田田根子)を祭祀主として大物主神を祀らせたのが始まりとされる。日本書紀では天皇が天変地異に加え疫病の流行に宸襟を悩まされているとき、夢枕に大物主神が立ち、「こは我が心ぞ。意富多多泥古(太田田根子)をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」と告げたとされる。天皇は早速、太田田根子を捜し出し、三輪山において祭祀を行わせたところ、天変地異も疫病も収まったという。

国史には奉幣や神階の昇進など当社に関する記事が多数あり、朝廷から厚く信仰されていたことがわかる。貞観元年(859年)2月、神階は最高位の正一位に達した。

(ウィキペディア)

境内・社叢

日没近いので露出不足でいい社員ではないが、灯籠が美しかった。暫定版として載せておく

  

大鳥居(一の鳥居)             二の鳥居

  

社号標             鳥居扁額


灯りがともされた神秘的な参道

  
手水舎                  拝殿


ピンぼけしているが、これしかないのでw

  

地名・地誌

地 図

交通アクセス・周辺情報

(公共)JR三輪駅から徒歩5分
・近鉄桜井駅から天理駅行きバス「三輪明神参道口」下車徒歩10分
(車)・名阪国道天理インターから南へ10キロ
大鳥居横に大きな第一駐車場・二の鳥居前に第二駐車場(いずれも無料)

参 考


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