伊保神社(式内 伊佐賀神社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 伊保神社
読み:いぼじんじゃ
江戸時代は「伊保神社」と称していた
延喜式神名帳 式内社 出雲国出雲郡 伊佐賀神社
所在地 島根県出雲市斐川町大字出西字伊保544
旧地名 出雲国出雲郡
御祭神
阿菩大神(あぼのおおかみ)
例祭日 11月14日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
出雲郡[イツモ]:58座 大1小57

『出雲国風土記』「加佐伽社」

近代社格制度  旧村社

創建     年代不詳だが、天平5年(733)『出雲国風土記』に「加佐伽社」と記載されているのでそれ以前にはあった
本殿様式   本殿は無く、神木(榊)を神籬(ひもろぎ)とする。

境内摂末社(祭神)

一口メモ

旧斐川町の南西の端。出雲国の4つの神名備山のひとつ仏教山の回りには式内社が多い。その仏教山の南を西向きに流れていた八岐の大蛇伝説の大河斐伊川が、仏教山が途切れ出雲平野で北に流れを変え宍道湖に注ぐ辺り。水運の要所だったことが伺える。

歴史・由緒等

御祭神阿菩大神(伊保大神)の鎮座年代並びに御系統は不詳であるが・古史成文古史系図には焼太刀守大穂日子命として記載されている。由緒として播磨風土記、万葉集は著名なる。即ち播磨風土記に云う大和の平野に香具山耳成山畝傍山の三山がそびえている。その香具山が畝傍山を愛し、又耳梨山も畝傍山に心を寄せており香具山と耳梨山が激しい争うことになった。
出雲の阿菩大神がこれを聞かれて自分が行って諫め止めようと思い立たれ葦船に乗って播磨国揖保郡(現揖保川町)まで行かれた時、大和からの使者によって闘いが止んだと聞かされた大神は折角やってきたのにと乗ってきた船をそこに覆せ、いぼをふられた(不満に思う)。
其の処を神亨といって現在も其の地名が残存している。尚、今の一級河川揖保川は、この神話に基づいて名付けられている。
阿菩大神がいぼをふられたということで伊菩となり後に伊保となった。

「社頭掲示板」

出雲方言で、不満に思い立腹して立ち去ることを“いぼをふる”といいます。これは、播磨国風土記の中で、出雲の阿菩大神(アボオオカミ)が大和三山の争いをいさめようとして出雲を立たれたが、揖保郡(兵庫県)でその争いがおさまったことを聞いて、「せっかく来たのに」と他の神々の慰めを聞かずに出雲への帰りに旅立たれたことから生まれた方言であるといわれています。

「延喜式神社の調査」さん

境内・社叢


鳥居

  
社号標                       正式名称は不明だが、島根県内の出雲国風土記(式内社)記載社や登場地には統一されたステンレス製のしゃれた標柱が建てられていて、さすが神の国出雲だと楽しくなる。

  
手水鉢                       狛犬 来待石の構え獅子型

  
参道石段                      拝殿

  
拝殿扁額は伊佐賀神社                拝殿側面


御神木 本殿はない

地名・地誌

伊保

『出雲国風土記』「加佐伽社」とあることから、かつて「かさか」といわれていた。『延喜式神名帳』で「伊佐賀神社」となっており、伊保集落のという意味で伊保になったのではないかと推察。

地 図

島根県出雲市斐川町大字出西字伊保544

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

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