伊和志津(式内大 伊和志豆)神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 伊和志津神社
式内社 摂津国武庫郡 伊和志豆神社(大 月次/新嘗)
読み: 古 イワシツ、現 いわしづ
『神社公式サイト』http://iwashidu-jinja.jp/
所在地 兵庫県宝塚市伊孑志(いそし)1-4-3
旧地名 摂津国武庫郡
御祭神
須佐之男命(すさのおのみこと) 迦具土神(かぐつちのかみ)
例祭日 10月23日 秋季大祭

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
武庫郡(ムコ):4座(大2座・小2座)
式内社(大 月次/新嘗)

近代社格制度  旧村社

創建     不詳
本殿様式   一間社春日造柿葺

境内摂末社(祭神)

愛宕神社・宝塚水天宮

文化財

本殿 (宝塚市指定文化財)

一口メモ

逆瀬川東岸近くに鎮座。古来宝塚の総鎮守とされている。私が生まれるすぐ前に、父母や姉が一時期逆瀬川のこの近くに住んでいた。父の弟である叔父が宝塚にいるので、よく遊びに行ったが、風景はすっかり高層ビルなどが立ち並び変わってしまっている。この神社は意外にもその近くだった。ナビで探すとき伊孑志が打てなくて困ったが、伊和志津神社で検索できる。

歴史・由緒等

西宮市の廣田神社境内末社伊和志豆神社とともに式内伊和志豆神社の論社。延喜式神名帳で既に大社に列格しているため、創建は遅くとも9世紀以前であるが、一帯は8世紀後半から伊蘇志臣(いそしのおみ)が拠点としていた地であり 、この時期に伊蘇志臣が創建した可能性がある。安土桃山時代、加藤清正が文禄・慶長の役で朝鮮から持ち帰った虎を境内で飼育したと伝えられる。式内社伊和志豆神社はこの地にある伊和志津神社であると『五畿地誌』には記され、当地ではそう信じられており、伊蘇志臣は同神社のある当地の氏族と『宝塚市史』には推定されている。しかし『摂津名所図絵』では伊和志豆神社は広田中村(現・西宮市)にあるとされている。
地名の由来はこれによると考えられているものの、「伊刀志」とも書き、地名の変遷は定かではない。

式内大社は、名神大社あるいは式内社(名神大)とは異なり、『延喜式』第9巻・第10巻「神名帳上下」に記載のある神社、いわゆる式内社のうち、大社に列格している神社で、その他の式内社を式内小社ともいう。名神大社は大社の中でも特に霊験あらたかな神社で、名神祭の対象となる神々(名神)を祀る神社である。名神祭(みょうじんさい)は国家的事変が起こり、またはその発生が予想される際に、その解決を祈願するための臨時の国家祭祀である。式内社は全国で2861社・3132座あるが、大社は名神大社より圧倒的に数は少ない。

当社は、延喜の御代式内の大社として、近郷の尊崇をあつめた古社。御祭神の須佐男命は和歌の祖神、学問の守護神、縁結びの神、開発の神。迦具土神は火の守り神である愛宕の神。又末社、宝塚水天宮は安産の神、水商売の神。
伊孑志、小林、蔵人、鹿塩4村を領家ノ荘と呼ばれ当社の小字、良元ノ庄が旧良元村の発生地、古来宝塚の総鎮守であります。
-社頭掲示板-

かつての神宮寺は塩尾寺で今日も存している。

当社は、延喜の御代(約1060年前)式内の官幣大社として、近郷の尊崇をあつめた古社。御祭神の須佐之男命(すさのおのみこと)は和歌の祖神、学問の守護神、縁結びの神、開発の神。迦具土神(かぐつちのかみ)は火の守り神である愛宕(あたご)の神。又末社、宝塚水天宮は安産の神、水商売の神。
伊孑志、小林、蔵人、鹿塩四村を領家ノ荘(りょうげのしょう)と呼ばれ(摂津志)当社の小字、良元ノ庄が旧良元村の発生地、古来宝塚の総鎮守であります。(本殿は市指定の文化財・境内は市指定の保存樹林)

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年

-阜嵐健『延喜式神社の調査』さんより-

境内・社叢

  
一の鳥居                      参道二の鳥居

  
手水舎                       境内・社殿

  
狛犬

  
拝殿・本殿                拝殿扁額

  
境内社 宝塚水天宮            愛宕神社

  
遥拝所                  縁結びの木(『神社公式サイト』より)

地名・地誌

武庫郡伊孑志(いそし)
伊孑志(いそし)は兵庫県宝塚市の武庫山(六甲山)山麓武庫川右岸の地名。行政地名としては大字の部分(伊孑志字武庫山)と町名としての1~4丁目を有し、両者は分断されている。一帯は8世紀後半から伊蘇志臣(いそしのおみ)が拠点としていた地であり、この時期に伊蘇志臣が創建した可能性がある。伊蘇志が伊孑志という字にいつごろからか変化した。歴史・由緒等にあるように、地名の由来はこれによると考えられているものの、「伊刀志」とも書き、地名の変遷は定かではない。
武庫郡の郡域は武庫川流域の現在の宝塚市南西部・西宮市南部・尼崎市西部にあたる。江戸時代から明治22年(1889年)までは伊孑志村として武庫郡に属した。その後は武庫郡良元村。1954年(昭和29年)4月1日、良元村が川辺郡宝塚町と合併して宝塚市となり、消滅。伊孑志は宝塚市役所、消防本部など公共機関に近い。

地 図

兵庫県宝塚市伊孑志1-4-3

交通アクセス・周辺情報

電車:阪急今津線逆瀬川駅から徒歩6分
車:中国自動車道・宝塚ICから南に2.5 km進む。国道176号線小浜(交差点)を左折して武庫川を渡り、宝塚市役所前(交差点)を右折して 県道114号線 に入る。
800 mで伊和志津神社前(交差点) を直進して 県道16号線 に入る38m東側。

参 考

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