伯耆国二宮 式内 大神山神社本社
Contents
概 要
社号 大神山神社(本社)
式内社 伯耆国會見郡 大神山神社
読み: 古 オホムワ、現 おおがみやま
所在地 鳥取県米子市尾高1025
旧地名 伯耆国會見郡
主祭神 大穴牟遅神
相 殿 大山津見神 須佐之男神 少名毘古那神
例祭日 10月9日 秋季大祭
神 紋 二重亀甲に剣花菱
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
伯耆国(ハフキ・ほうき):6座(並小)
會見郡[アフミ]:2座並小
中世社格制度 伯耆国二宮
近代社格制度 旧国幣小社
社格制度廃止後 別表神社
出雲国神仏霊場九六番(20社寺)
創建 承応2年(1653)に現社地へ奉遷
本殿様式 大社造
境内摂末社(祭神)
本殿左手奥に、末社・朝宮神社(大山津見神,足名椎神,手名椎神,須勢理毘売神,天之菩卑能命,品陀和気命,菅原神)
奥宮・下山神社遥拝所
入り口に龍神社
一口メモ
鳥取方面からは、国道9号バイパス山陰道の米子東ICで下りたら近かいのに、行きすぎて日野東ICで県道159号を南下するが、ナビの指示が分かりにくく田圃の畦道を迷いながら、たどりついた。
途中山陰最大規模の弥生時代の住居跡が見つかった淀江町の妻木晩田遺跡など時間があれば立ち寄りたい場所がある。
歴史・由緒等
大神山神社は大山山腹の奥宮と、ふもとの本社の2社に別れています。これは昔、雪の多い冬季には本来の社である奥宮には参拝が難しく、冬にもお参りができるように、ふもとに冬の宮を作ったからです。
本社は紫陽花でも知られる。本社境内には約2000本の紫陽花が植えられています。
5月下旬から7月上旬にかけて各種の紫陽花が開花します。
6月上旬から中旬にかけてはアマチャや白系統の花、
中旬にはピンクや紫系統、下旬には空色系統の花が咲きます。「神社公式サイト」
伯耆大山は、天平5年(733)に成立した「出雲国風土記」に火神岳(大神岳)として見え、平安時代の「続日本後記」や「日本文徳天皇実録」、「日本三代実録」にも「伯書国大山神」と記録されていることからも、大山が古代から神の宿る山として信仰されてきたことがうかがえる。
『大山寺縁起』によれば、修験の地として始まった大山の山腹に金蓮上人によって寺が建てられるようになったのは、奈良時代の頃とされる。その後、天台宗の影響を受けて天台寺院となった。また、中門院、南光院、西明院の三院が12世紀までに成立した。伯耆大山寺として、この三院を総称して呼ぶようになったのは室町時代以降のことである。各院は大日如来、釈迦如来、阿弥陀如来を信仰し、三院の中心理念として地蔵菩薩が祀られた。その地蔵菩薩が大智明権現という称号を受け祀られた社が大智明権現社であり、現在の大神山神社奥宮である。
伯耆大山寺が、寺と神社に分かれるようになったのは、明治8年の神仏分離政策による大山寺号の廃絶によるもので、この時に伯耆大山寺から大神山神社へと名称が変えられることになった。明治36年には大山寺号の復興が認められたが、大智明権現社(奥宮)と下山社(下山神社)が神社名義のまま残ることになり、現在に至っている。
大神山神社奥宮は、承応2年(1653)に建立されたが、寛政8年(1796)年に火災で焼失し、文化2年(1805)に京都の大工、三輪平太によって社殿再建がなされた。壮大な権現造で、拝殿・本殿2棟の建造物を幣殿で結び、拝殿の両側に長い翼廊をつける。屋根は、総檜皮葺、入母屋造である。また、拝殿は壮大な唐破風をつけ、柱間は3つあり、中央入口の柱間は内側より広く、柱は円柱で50cm近くある。幣殿内の格天井には美しく彩色された234枚もの花鳥人物が描かれており、豪華を極めている。
「由緒書」
境内・社叢
鳥居 社号標 大御神燈
古い狛犬と紫陽花
手水舎
境内案内板
御神門前の狛犬
御神門 拝殿
拝殿前の狛犬
拝殿 大きな木が泰山木の木かな。
6月中旬から7月の初めにかけて、大きな白い花を次々と咲かせます。
拝殿扁額
賽銭箱には御神紋とは違う紋、「福」の字だろうか? 拝殿の雨戸には菊の御紋入り
拝殿側面 本殿
拝殿と横の建物を結ぶ渡り廊下の梁のカーブの木材を曲げる技術に感心する。
末社・朝宮神社 奥宮・下山神社遥拝所
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
ホームページ 神社公式サイト
参 考
『延喜式の調査』さん、他
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