別表神社 建勲神社
Contents
概 要
社号 建勲神社
読み たけいさおじんじゃ
通称 けんくんじんじゃ、けんくんさん
旧称 健織田社(たけしおりたのやしろ)、建勲社(たけいさおしゃ)
所在地 京都市北区紫野北舟岡町49
御祭神 主祭神 織田信長公
配祀 織田信忠卿
例祭日 7月1日 10月19日 船岡大祭
社格等
式外社
近代社格制度 旧別格官幣社
社格制度廃止後 別表神社
創建 明治3年(1870年)
本殿様式 一間社流造檜皮葺
境内摂末社(祭神)
末社義照稲荷神社 稲荷命婦元宮 船岡妙見社
文化財重要文化財
刀 無銘(義元左文字)
紺糸威胴丸(附 保呂串付受筒、采配、鞭、櫃)
信長公記 太田牛一自筆本
国登録有形文化財
本殿、拝殿、神門(祝詞舎)、渡廊、透塀、神饌所、祭器庫、手水舎、貴賓館、大鳥居、社務所
一口メモ
京都市街には、西に船岡山、東に吉田山の2つの小山がある。以前から何度も参拝してみたいと思っていた。
歴史・由緒等
明治2年11月8日(1869年12月10日)、「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」として、戦国時代を天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を賛えるための健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建が明治天皇により決定された。
船岡山は平安京の四神相応の玄武に位置し、豊臣秀吉によって信長の廟所と定められた地である。その船岡山に神社を移すことになり、明治13年(1880年)9月、社殿が竣工して東京より遷座した。
境内・社叢
境内手前石段脇社号標 手水舎(国指定有形文化財)
境内手前石段脇狛犬
拝殿(国指定有形文化財) 神門(祝詞舎)(国指定有形文化財)
本殿(国指定有形文化財)
拝殿から市中を臨む
地名・地誌
船岡山城
別名、船崗山城、山名城とも呼ばれている。
船岡山城は、応仁元年(1467年)に始まる応仁の乱の西軍の城として船岡山に築造された。備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山城で立てこもった。この時に、西軍は船岡山一帯を陣地としたため、その後「西陣」の名で呼ばれるようになる。翌年、東軍によって落城し、その後は東西両軍とも利用しなかったため、廃城となった。臨戦用の陣城と推定されており、恒久的な城郭施設の存在は不明である。遺構としては山腹に横堀が掘られており、堀の外側土塁が積みあがっている。また山頂部にはかなり広い削平面が確認でき、典型的な中世の山城であった。
次は、永正8年(1511年)に細川政賢と大内義興の間で繰り広げられた有名な船岡山合戦が行われた。
地 図
交通アクセス・周辺情報
京都市営地下鉄烏丸線北大路駅より京都市営バス乗車、船岡山バス停または建勲神社前バス停下車
北大路通りから境内への車道(参道)を登ると脇に参拝者専用で2、3台駐車できる
参 考
『神社公式サイト』http://kenkun-jinja.org/
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