太多郷(タダ)
一 太多神社(国主神社) 気多郡太多村鎮座 (式外社)
祭神 大国主命・太多毘古命
人皇四十一代持統天皇の四年(690)秋九月、太多公これを祀る。
(太多村は、兵庫県豊岡市日高町太田で、村社は国主神社 祭神 大国主命)
ニ
祭神 田道公
人皇41代持統天皇巳丑三年(689)、多遅摩少穀忍海部の広足これを祀る。
(延喜式 名神大 戸神社)
三 山ノ神社 気多郡山守部村鎮座(兵庫県豊岡市日高町山宮字前田409-3)
祭神 五十日帯彦命
人皇35代舒明天皇三年(631)、但馬山守部の山公峯男之を祀る。
(延喜式 名神大 山神社)
三方郷(ミカタ)
四 神門(カムト・かんと)神社 気多郡三方村鎮座(兵庫県豊岡市日高町荒川字村上309)
祭神 鵜濡渟命(ウカツクヌ)
人皇21代雄略天皇四年、神門臣神人これを祀る。
楽前郷(ササノクマ)
五
祭神 佐久津彦命
人皇一代神武天皇の御世、佐々前県主 佐々宇良彦これを祀る。
高田郷
六
祭神 大穀矢集連高負命
人皇41代持統天皇巳丑三年(689)、少穀忍海部の広足これを祀る。
高田郷(タカタ)
七
祭神 素盞嗚命
人皇41代持統天皇巳丑三年(689)、少穀忍海部の広足これを祀る。
八
祭神 大売布命
人皇41代持統天皇巳丑三年(689)、少穀忍海部の広足これを祀る。
日置郷(ヒオキ)
九 葦田神社 気多郡葦田村鎮座(兵庫県豊岡市中郷森下1141)
祭神 天目一箇命
人皇16代仁徳天皇二年、葦田首は、その祖天目一箇命を鍛冶丘に合せ祀る。(合祀したとあるので、もとの祭神があったようだ)
国府(郷) (国府は国衙所在地であり国府なので、あえて郷名はないが、奈良時代以降に国府郷・気多郷などと呼ばれた)
十
祭神 御井比売命
人皇一代神武天皇の御世
十一
祭神 伊智井の祖・大使主命(オホオミノミコト) 商長首宗麿(アキナイオサノオビト ムネマロ)
人皇42代文武天皇の庚子四年(700)、従五位下櫟井臣春日麿これを祀る。
十二
祭神 天湯河板挙命
人皇21代雄略天皇四年、美努連嘉麿これを祀る。
狭沼郷(サノ)
十三
祭神 火雷神
人皇42代文武天皇の慶雲三年(707)、丹波・但馬二国に山災となる。使を遣わし神祇に幣帛を奉る。
※延喜式 式内社(名神大)
十四
祭神 当芸利彦命(亦名 鷹貫彦命) 但馬竹野別之祖・気多県主
人皇32代崇峻天皇四年(591)、鷹貫首これを祀る。
十五
祭神 野見宿祢(石作部の祖)・武碗根命(陶人の祖)
人皇17代仁徳天皇二年、石作部連土師臣陶人等これを祀る。
※延喜式 須谷神社
十六
祭神 大山守命 (榛原氏の祖)(延喜式 名神大)
人皇40代天武天皇十四年(685)、但馬国司 小錦上 榛原公鹿我麿これを祀る。
十七
祭神 大荒木命(またの名 玉荒木命、建荒木命) 玉祖宿祢の祖
人皇26代武烈天皇三年、玉祖宿祢これを祀る。
十八
祭神 天砺目命(または天刀米命 大炊山代直の祖)
人皇47代孝謙天皇の天平勝宝元年(749)、大炊山代直都賀麿は八代谷を開き墾田と為す。その祖天砺目命を祀り、大炊山代神社という。また八代神社という。思往神社はこの転訛なり。
十九 大岡神社 気多郡大岡村鎮座(兵庫県豊岡市日高町大岡) (式外社)
祭神 天児屋根命(あまこやねのみこと)・黒田大連命・八千矛神・白山毘売命(しらやまひめのみこと)
人皇42代文武天皇の御世(697-797)、賢者仙人八千矛神・白山毘売命を祀る。
※『国司文書 但馬故事記』人皇46代聖武天皇天平七年春正月 国学の頭(かみ)文部息道は気多郡神社神名帳を編み、総社(気多神社)に納む。
には、上記式内社はすべて記載されているが、本伝には延喜式の気多郡式内社21坐のうち、日置郷の日置・楯縫・井田・気多の四社が記されていない。また式外社でありながら太多神社、大岡神社が記載されているのはなぜなのか。延喜式神名帳から『但馬神社系譜伝』編纂時期まで約五十年なのでそれらが衰退していたためだろうか。
上記の式内社以外の式内社
祭神 国作大巳貴命・物部但馬連公武命(但馬公の祖)
『但馬故事記』人皇16代仁徳天皇元年、(多遅摩国造)物部多遅摩連公武の子、物部多遅摩毘古をもって多遅摩国造と為し、府を(高田郷から)日置郷に移す。二年、(多遅摩国造で父の)物部多遅摩連公武を気多神社に合祀す。
人皇21代雄略天皇三年、黒田大連をもって多遅摩国造と為し、府を国府村に移す。
人皇29代(ママ)宣化天皇三年、(多遅摩国造)能登臣気多命は、その祖大入杵命を気多神社に合せ祀る。
日置神社 気多郡日置村鎮座(兵庫県豊岡市日高町日置字高谷14)
祭神 天櫛玉命(玉祖の祖)・天櫛耳命(日置部の祖)
『但馬故事記』人皇16代仁徳天皇二年、(物部多遅摩毘古が多遅摩国造で父の物部多遅摩連公武を気多神社に合祀した)のに倣い、日置部首は、その祖天櫛玉命を日置丘に祀る。
井田神社 気多郡伊福村鎮座(兵庫県豊岡市日高町鶴岡字城山122)
祭神 石凝姥命(イシコリトメノミコト)
人皇16代仁徳天皇二年、(物部多遅摩毘古が多遅摩国造で父の物部多遅摩連公武を気多神社に合祀した)のに倣い、伊多首は、その祖石凝姥命を鋳含丘(伊福丘)に祀る。
楯縫神社 気多郡楯縫村(多田谷)鎮座(兵庫県豊岡市日高町鶴岡字保木677)
祭神 彦狭知命
人皇16代仁徳天皇二年、(物部多遅摩毘古が多遅摩国造で父の物部多遅摩連公武を気多神社に合祀した)のに倣い、楯縫首は、その祖彦狭知命を縦屋(多田谷)丘に祀る。
『但馬故事記』記載のその他の式外社
栗栖神社 (おそらく栗栖野だろう)
祭神 宇麻志摩遅命(栗栖連の祖)
真弓神社
祭神 真弓射早彦命(檀氏の祖) (所在地不明)
馬工(うまたくみ)神社(今の馬止神社) (気多郡馬工村 兵庫県豊岡市日高町観音寺700)
祭神 馬工連刀伎雄の其の祖・平群木免宿禰命(へぐりのつくのすくね)
的場(いくはば)神社(今の萬場神社) (気多郡太多郷 兵庫県豊岡市日高町羽尻(河畑)549)
祭神 的臣羽知の祖・葛城城襲津彦命
祭神
祭神
楯石神社 (気多郡高田郷祢布村 兵庫県豊岡市日高町祢布字城山446)
祭神
『但馬故事記』(第一巻・気多郡故事記)
大宝元年春正月、詔して、皇都に大学料を設け、諸国に国学寮を設く。
三年夏五月、但馬国気多郡馬方原(三方)に国学寮設けるにいたり、郡司の子弟を教授す。
四年春二月、初めて先聖孔子を国学寮に釈尊す。(国学寮を廃してのち釈尊寮存す。釈尊神社と称し奉る)
人皇48代高野天皇の天平神護二年八月、国学の頭博士・文部息道卒す。門人これを杉ノ森に葬る。かつ祠を建てこれを祀り、文部神社と云う。(杉ノ森→杉岡?)
人皇62代村上天皇の天徳2年夏6月 国学ノ頭博士・膳臣法経卒す。年七三、門人これを母曾森に葬り、祠を建てこれを祀る。法経神社と云う。
国学の助・菅野資倶を以って、国博士兼国学ノ頭に補し、真神田光尊を以って、国学ノ助と為し、文部経堂を以って、国学允(じょう)と為し、陽候真志河を以って、国学属と為す。
以下所在地不明だが国学寮を三方郷に置いたとあり、その付近の三方郷内と思われるので「→」は私の推察である。
釈尊神社 祭神 文宣公孔夫子 →釈山神社 豊岡市日高町広井
文部神社 祭神 文部息道・文部良道 →杉岡神社 豊岡市日高町森山
法経神社 祭神 膳臣法経 →旧三所 今の野と芝の間に法経神社あり『三方村史』。