名神大 天太玉命神社
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概 要
社 号 天太玉命神社
式内社 大和国高市郡 太玉命神社 四座 並名神大
読み:古 フトタマノ、現 あめのふとだま
所在地 奈良県橿原市忌部町153
旧地名 大和国高市郡
御祭神
天太玉命(あめのふとだま のみこと) 忌部氏祖
大宮売命(おおみやめ のみこと)
豊石窓命(とよいわまど のみこと) 天石門別神(あまのいわとわけのかみ)の別名『古語拾遺』天太玉命の子
櫛石窓命(くしいわまど のみこと) 〃
『五郡神社記』第一天太玉神 第二大宮乃売神 第三忌部祖太玉命、第四天比乃理咩命
「後太玉命社記」天太玉命、大宮売命・豊磐間戸命・櫛磐間戸命
祭礼 10月9日 例祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
高市郡(タケチ):54座(大33座・小21座)
式内社(並名神大)
近代社格制度 旧村社
創建 不詳
本殿様式 千鳥破風付流造桧皮葺
境内摂末社(祭神)
春日社(天児屋根命)、玉依姫命・岡本天王社
一口メモ
曽我川沿いに橿原市曾我町の式内大 宗我坐宗我都比古神社、式内 天高市神社、そして当社。曽我川西岸近く、国道24号線から東に入って国道166号線に北に面して鎮座する。2週間前に島根県松江市忌部町の忌部神社を訪ね、ここが本社だと知った。
歴史・由緒等
当地は現在も「忌部」の地名が遺るように古代氏族・忌部氏の本拠地であり、忌部氏の祖神である天太玉命を祀る当社は、その氏神として祀られていた。文献上では、貞観元年(859年)には従五位上に叙せられているほか、貞観10年(868年)には飛鳥神の四裔神の記載がある。
『延喜式神名帳』には「大和国高市郡 太玉命神社四座 並名神大 月次新嘗」と記載され、名神大社に列した。
忌部氏は朝廷の祭祀を司る氏族であったが、同じ祭祀氏族の中臣氏の権勢に押され、平安時代以降は目立った事績は見られず衰微した。
-ウィキペディアより-
境内・社叢
社叢 社号標
鳥居 手水舎
拝殿
本殿 高い垣で見えないので拝殿内から
本殿の両側には各独立の春日造の二宇あり、これらは境内社として扱われ、左は春日社(天児屋根命)、右は玉依姫命・岡本天王社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
JR西日本 桜井線 金橋駅 (徒歩約13分)
国道166号線忌部町交差点東北
参 考
「延喜式神社の調査」さん、他
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