名神大 木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)
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概 要
社 号 木嶋坐天照御魂神社
式内社(名神大) 山城国葛野郡 木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
通称 木嶋神社(このしまじんじゃ) 蚕の社
また、本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから蚕の社(かいこのやしろ)の通称が広く知られている。
読み: 古 コノシマニマスアマテルミムスビ 現 このしまにますあまてるみたまじんじゃ
所在地 京都府京都市右京区太秦森ヶ東町50
旧地名 山城国葛野郡
御祭神
天御中主命(あめのみなかぬしのかみ)
大国魂神(おおくにたまのかみ))
穂々出見命(ひこほほでみのみこと)
鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
例祭日 10月10日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
葛野郡[カトノ]:20座 大14座 小6座
近代社格制度 旧郷社
創建 起源は定かではないが続日本紀の大宝元年(701年)4月3日の条にこの神社の名があることからそれ以前からとされる
本殿様式 流造
境内摂末社(祭神)
蚕養神社・稲荷神社・稜道神社・魂鎭神社・顯名神社
稻荷神社・八坂神社・食國神社・天満神社・三拾八所神社・白徳神社
橋姫神社・椿丘神社
一口メモ
珍しい三柱鳥居で知られ、一度訪れたかった神社。
歴史・由緒等
現在では祭神を天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命としている。
木嶋坐天照御魂神社は「木嶋に鎮座する天照御魂神の社」という意味で、本来は「天照御魂神」を祀る神社ということになる。この「天照御魂神」がどの神を指すのかについては諸説ある。『葛野郡神社明細帳』では上述の神々の他に爾々芸命の名を挙げている。『神社志料』では天火明命のこととしている。関西には、ほかにも「天照(アマテル)」のつく神社がいくつかあり、元々はそれぞれ当地の太陽神を祀っていた神社と考えられている。
続日本紀などの国史には「木嶋神」の名前で登場する。「木嶋」という名前は、原野に茂る木々の様が「木の島」のようであったからとされる。
起源は定かではないが続日本紀の大宝元年(701年)4月3日の条にこの神社の名があることからそれ以前から祭祀されていたとされる。『延喜式』では名神大社に列し、月次・相甞・新甞の官祭を受ける社として記載されている。
この神社がある嵯峨野一帯はかって朝鮮半島を経由して渡来した秦氏が製陶、養蚕、織物などの技術を持ち込んだ。蚕が祀られているのもそれゆえである。
社殿は本殿、東本殿(前述の蚕養神社)、拝殿などからなり明治以降の再建である。
社殿の西にかつては湧水が豊富であった「元糺の池」(もとただすのいけ)という池の中に三柱鳥居(三ッ鳥居)がある。柱が三本で三正面、上からの形は三角形となっている鳥居は珍しい存在であり京都三鳥居の一つとされている。これも起源不明ながら現存するものは天保2年(1831年)に再興されたものである。
三つの石製鳥居を三角形に組み合わせ、中心に石積みの神座に御幣が立ち三方から拝むことができる。三方向は、北は双ケ丘、西は松尾大社、東は稲荷大社の方向で、いずれも秦氏ゆかりの場所 (支配地域)である。
ここ10年の間に、境内の池の湧き水が枯渇してしまった。近隣の宅地開発が原因とも言われている。
境内・社叢
一の鳥居が、京福電鉄の軌道敷が通る三条通に面している。
社号標 隣に蚕神社の社号標
境内右傍 かいこの社跡?と読める
境内 左鳥居は元糺の池入り口 神楽殿(舞殿)
拝殿
本殿 本殿右手の養蚕神社 (蚕の社)
社殿左の境内末社合祀殿
「式内社調査報告」稜道神社・魂鎮神社・顯名神社・八坂神社・食国神社・天満神社・三拾八所神社・橋姫神社・椿丘神社
三柱鳥居
「元糺の池」(もとただすのいけ)の中に三柱鳥居(三ッ鳥居)
境内社 稲荷社4祠(稲荷神社・三国稲荷神社・白清神社・白徳神社)
地名・地誌
元糺の森
“元糺の森”については、嵯峨天皇の時代(809~822)に、「糺」を下鴨神社に遷してから、当社の森を「元糺」とされたという。以来、鴨氏の氏神を祀る下鴨神社の森を“糺の森”と称し、木嶋(このしま)神社の森を“元糺の森”と称するようになった。これは秦氏と鴨氏とのつながりをあらわしている。下鴨神社の糺ノ森の瀬見の小川の西側にある摂社河合神社の正式名称は小社宅(おこそべ)神社。
地 図
交通アクセス・周辺情報
電車 京福電鉄「蚕ノ社」
自動車 三条通りと丸太町通りの間(セブンイレブン斜め北)
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