名神大 生田神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 生田神社
式内社(名神大) 摂津国八部郡 生田神社
通称:生田さん
読み:古 イクタ、現 いくた
所在地 神戸市中央区下山手通1-2-1
旧地名 摂津国八部郡
御祭神 稚日女尊(わかるめのみこと)
例祭日◆生田の森曲水の宴(4月上旬)
神社境内にある生田の森にて、平安衣装を身につけた歌人が歌題にそった和歌を詠み、宮中歌会始被講者坊城俊周様によて披講されます。

◆生田祭(4月15日)
生田神社の例祭で、神幸祭では獅子舞・梶原武者・子供神輿・お稚児さん・親神輿等総勢八百名程が行列をなして練り歩き、夕刻生田神社へ宮入します。

◆大海夏祭(8月3~5日)
境内に祀られている末社大海神社の例祭で、夕刻より日替わりイベントや多数の夜店があり、連日多くの参拝者で賑わう。

◆秋祭(9月19日~23日)
19日の古式祭に始まり、生田薪能・雅楽の夕べ等の行事も行われ連日賑わう。
『神社公式サイト』

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
摂津国:式内社75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
八部郡[ヤタベ]:3座 大2座 小1座
式内社(名神大)
近代社格制度 官幣中社
社格制度廃止後 別表神社

神紋:八重桜
創建     神功皇后(じんぐうこうごう)元年(西暦201年)
本殿様式

境内摂末社(祭神)

境内末社14社
住吉神社 八幡神社 諏訪神社 日吉神社 市杵島神社 稲荷神社 塞神社 雷大臣神社 人丸神社 蛭子神社 大海神社 松尾神社 戸隠神社 生田森坐社

飛地境内末社2社(兵庫宮御旅所)
天照皇大神宮社・稲荷神社

一口メモ

昭和62年(1987.2.22)以来、27年ぶり。

歴史・由緒等

社殿は、1938年(昭和13年)の神戸大水害、1945年(昭和20年)の神戸大空襲、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災など何度も災害等の被害に遭い、そのつど復興されてきたことから、「蘇る神」としての崇敬も受けるようになっている。

御由緒

生田神社の御創建は神功皇后(じんぐうこうごう)元年(西暦201年)と日本書紀に記されており、「『日本書紀』神功皇后条巻第9(神功皇后摂政元年2月)」に下記のように記されています。

「吾は活田長峡国(いくたながをのくに)に居らむとす」とのたまふ。
因りて海上五十狭茅(うなかみのいさち)を以て祭(いわ)はしむ。

神功皇后が海外外征の帰途、今の神戸港にてお船が進まなくなったために神占を行ったところ、稚日女尊が現れられ、「私は活田長狭国に居りたい」と申されたので、海上五十狭茅という者を神主として祀られたと伝えられます。

同じくこの時に、天照大神の荒魂(あらみたま)が西宮市の広田神社に、事代主神(ことしろぬしのかみ)が神戸市長田区の長田神社にお祀りされたと伝えられています。

この時に大阪・住吉大社と神戸・長田神社、西宮・広田神社を同時に祭られ、之を日 本書紀では、四社鎮祭と申します。

 大同元年(806)朝廷より生田の社に44戸の封戸が与えられた。封戸とは奉仕する人々の家をいう。その神の封戸神戸(カンベ)、中世は紺部(コンベ)と呼ばれ、近世より神戸の地名となった。

『日本書紀』に、神功皇后が三韓を征せられ、帰途、武庫の水門(今の神戸港沖)で急に船が進まなくなり、ご神意を占った処、稚日女尊が「我は活田長峽国に居らうと思ふ」と。因って海上五十狭茅に命じて之を活田即ち今の生田の地に祀らしめた。この海上氏は代々神職としてつとめ寛政年間に及び、末裔は今も兵庫区に在住されている。

最初の鎮座地は布引の砂山、(現在の新神戸駅北の孤丘)であった。ある時、布引の渓の大洪水で砂山のすそがえぐられ、松の木も根こそぎ流失、神守りをしていた刀禰七太夫が神霊を背負うて安住の地を求め、現在の生田の森に鎮座した。

以来、生田の神は、松の木頼むに足らずとして、境内には一本の松もなく正月も門松の代わりに、「杉盛」と称する門杉を立てる習わしが今に伝わっている。
ー-「兵庫県神社庁」-

御祭神・稚日女尊について

『神社公式サイト』では、当社にお祀りする稚日女尊は、我国における最高神太陽神と崇められ伊勢神宮内宮にお祀りされる天照大神(あまてらすおおみかみ)の和魂(にぎみたま)あるいは妹神と伝えられ、稚くみずみずしい日の女神様であり、物を生み育て万物の成長を御加護する神様です。

境内・社叢

  
一ノ鳥居(神明鳥居)            社号標

    
社頭狛犬

  
境内入口左境内社  大海神社           右境内社 松尾神社

  
二ノ鳥居(明神鳥居)               手水舎


社頭掲示板

  
楼門                     拝殿

   
拝殿狛犬(ブロンズ)

  
拝殿内から本殿                本殿屋根

  
本殿左手境内社 戸隠神社          さざれ石

  
折れ鳥居と礎石               生田の森境内社 生田森坐社

この鳥居は江戸時代初期に建立され、安政元年(1853年)の大地震で支柱を残して崩壊してしまった。
爾来、支柱が道路脇にあって「生田の折鳥居」と名付けられ、「交通安全に御利益あり」として信仰されたが、以後生田の森に移転され、森の中に鎮まっている。

  
稲荷神社

  
包丁塚                 本殿右手境内社 塞神社(同型で雷大臣神社・人丸神社が並ぶ)

地名・地誌

神戸(こうべ)

現在の神戸市中央区の一帯が社領であり、これが「神戸」という地名の語源となる。神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)がこの地の呼称となり、中世には紺戸(こんべ)、近年に神戸(こうべ)と呼ばれるようになった。

神社、寺院の封戸※1について列記した平安時代の法制書である『新抄格勅符抄』(しんしょうきゃくちょくふしょう)という書物に、大同元年(西暦806年)に、神社に奉仕する封戸(ふこ)である神戸(かんべ)※244戸が朝廷より与えられたと記されており、それが「かんべ」→「こんべ」→「こうべ」と変わり、現在の神戸(こうべ)という地名の語源になったといわれています。
また延喜式※3には、各地より集まった稲を使い、生田神社の境内で神職が酒造りをして、国賓として朝鮮半島からの要人を迎えた際に振る舞ったとあり、灘の酒造りの起源とも伝えられています。

※1
貴族・社寺に俸禄として支給した戸
※2
神社にお供えするお米等お酒等を作る庄園
※3
平安時代の国家の法制書。延喜時代に編纂されたことから『延喜式』と称されました。

生田

生田神社の生田(活田)という名前には、強い生命力あふれる場所という意味があり、社殿の北側にある生田の杜(森)には、様々な戦災なども乗り越えて生い茂る樹齢約400年から600年のご神木があり、活力(パワー)の張る場所として人気がある。また、清少納言の『枕草子』にも、「杜は生田」という記述があり、日本を代表する森として登場する。

地 図

交通アクセス・周辺情報

公共 市営地下鉄・阪急・阪神・ポートライナー各三宮駅、JR三ノ宮駅より北西へ約400m徒歩10分
交通・車 山手幹線より生田警察署の筋を南へお進みください。
案内の掲示板が出ております。

参 考

『神社公式サイト』、他

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