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社 号 日御碕神社
読み:古 ミサキ、現在 ひのみさき
江戸時代は「日沈宮」「日御碕太神宮」と称していた
延喜式神名帳 式内社 出雲国出雲郡 御碕神社
所在地 島根県出雲市大社町日御碕455
旧地名 出雲国出雲郡
御祭神
「神の宮」上の本社
主祭神 素盞鳴尊(すさのお のみこと)
相殿 田心姫(たごりひめ) 湍津姫(たぎつひめ) 厳島姫(いちきしまひめ)…宗像三女神
「日沈宮」下の本社
主祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)
相殿 正哉吾勝尊(まさかあかつ のみこと) 天穂日命(あめのほひ-) 天津彦根命(あまつひこね-) 活津彦根命(いくつひこね-) 熊野櫲樟日命(くまのくすひ-)
例祭日 8月7日
『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
出雲郡(イツモ) 58座(大1座・小57座)
『出雲国風土記』「「美佐伎社」百枝(しぎ)社」
近代社格制度 国幣小社
社格制度廃止後 別表神社
出雲国神仏霊場第二十番
創建 安寧天皇13年
本殿様式 「神の宮」「日沈宮」ともに権現造(入母屋造) 檜皮葺
荒魂神社・宗像神社・立花神社・蛭子神社・御井神社
荒祭宮・八幡神社・稲荷神社・門客人神社・經島神社・百枝穂神社
立虫神社・隠缶神社・月讀神社・推恵神社・林神社・荒魂神社・熊野神社
日吉神社・貴船神社・岐神社・水門神社・神紋石社
国宝
白糸威鎧(しろいとおどしよろい)兜・大袖付 鎌倉時代(塩冶高貞寄進)
重要文化財
日沈の宮(下の宮)8棟
本殿・幣殿・拝殿(合1棟)・玉垣・禊所・廻廊・楼門・門客人社(2棟)
神の宮(上の宮)4棟2基
本殿・幣殿・拝殿(合1棟)・玉垣・宝庫・鳥居(2基)
附指定:文書絵図類4種、石燈篭5基
藍韋威腹巻(あいかわおどしはらまき) 南北朝時代(名和長年寄進)
日御碕神社は島根半島の西端に位置し、神の宮に素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日沈宮に天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしている。島根半島東端の美保神社を訪ねたときから、いつか当社を目指していた。陽が差していたのに午後から荒れ模様になり、強い風を小雨。日本海に突き出た日御碕灯台には、むしろその厳しさを知るには相応しい天候かもしれない。日御碕灯台まで行き、観光客が少ないなか缶コーヒーを買いに寄った売店で、いか焼きを焼いている奥さんと会話した。いつもより3月だというのに寒いそうだ。通常は土産物や余計なものは買わない方だが、気の毒になって一本200円のいか焼きを買ってしまった。
「日沈の宮」(日しずみの宮)の名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社、である事による。
日沈の宮の遠源は、神代の昔素戔嗚尊の御子神天葺根命(又天冬衣命と申す宮司家の遠祖)現社地に程近い経島(ふみしま)に天照大御神様の御神託を受け祀り給うと伝えられる。又、『日の出る所、伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り、日の本の昼を守り、出雲国日御碕の清江の浜に日沈宮を建て、日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らむ』天平7年乙亥の勅に輝く日の大神の御霊顕が仰がれる如く、古来日御碕は夕日を銭け鎮める霊域とされ、また素戔嗚尊は出雲の国土開発の始めをされた大神と称えられ、日御碕の『隠ケ丘』は素尊の神魂の鎮まった霊地として崇められた。「神の宮」は素尊の神魂鎮まる日本総本宮として「日沈宮」と共に出雲の国の大霊験所として皇室を始め普(あまね)く天下の尊崇をうけ現在に至っている。然してその御神徳は天照大御神の「和魂」、素戔嗚尊の「奇魂」(くしみたま)の霊威を戴き、「国家鎮護」「厄除開運」「交通航海の安全」「良縁・夫婦円満・安産」「家業繁昌」の守護神として御霊験あらたかである。
現在の社殿は、徳川三代家光公の幕命による建立にして、西日本では例のない総「権現造」である両社殿とも内陣の壁画装飾は極彩色で華麗にして荘厳の至りである。
社殿の殆ど、及び石造建造物は国家重要文化財である。「社頭掲示板」
素盞鳴尊の奇魂(くしみたま)と、日の神・天照大御神の和魂(にぎみたま)の御霊威をいただいた御神徳は「邪心を払い給う神」「厄除けの神」「産びの神」「縁結び、夫婦円満、家運繁栄の神」「交通安全の神」「殖産興業、安産の神」など、広く霊験あらたか、上世以来二十数回の造営すべてが勅命か、将軍命によるものであることからも、御神威の一端がうかがわれる。
現在の社殿は、日沈宮、神の宮ともに徳川三代将軍家光公の命で、日光東照宮建立の翌年、寛永十四年より幕府直轄工事として着工され、七年の歳月をかけて同二十一年の竣工で、三百六十余年を経ている。桃山時代の面影を残す精巧な権現造りで、両本殿内部の天井四壁の絵は狩野、土佐両派の画匠による豪壮な趣きのあるものである。昭和二十八年には、社殿のすべてと境内の石造建築物も含め、国指定重要文化財とされた。-『出雲国神仏霊場サイト』より-
日御碕神社御由緒記
御鎮座の由来
日しずみの宮(日沈宮)日しずみの宮は、神代以来現社地に程近い海岸(清江の浜)の経島(ふみしま、文島又日置島ともいう)に御鎮座になっていたが、村上天皇の天暦2年(約一千年前)に勅命によって現社地に御遷座致されたのである。
経島に御遷座の由来を尋ねるに、神代の昔素盞嗚尊の御子神天葺根命(又天冬衣命と申す)清江の浜に出ましし時、島上の百枝の松に瑞光輝き『吾はこれ日ノ神なり、此処に鎮まりて天下の人民を恵まん、汝速に吾を祀れ。』と天照大御神の御神託あり、命即ち悦び畏みて直ちに島上に大御神を斎き祀り給うたと云う。
又『日の出る所伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り日の本の昼を守り、出雲国日御碕清江の浜に日しずみの宮を建て日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らん』と天平7年乙亥の勅の一節に輝きわたる日の大神の御霊顕が仰がれる。
かように日御碕は古来夕日を銭け鎮める霊域として中央より幸運恵の神として深く崇敬せられたのである。
そして、安寧天皇13年勅命による祭祀あり、又第九代開化天皇2年勅命により島上に神殿が造営された(出雲国風土記に見える百枝しぎ社なり)が村上天皇天暦2年前記の如く現社地に御遷座せられ、後「神の宮」と共に日御碕大神宮と称せられる。
神の宮
神の宮は神代以来現社地背後の『隠ケ丘』に鎮座せられていたが、安寧天皇13年勅命により現社地に御遷座せられ(出雲風土記に見える美佐伎社なり)後「日しずみの宮」と共に日御碕大神宮と称せられる。
隠ケ丘御鎮座の由来は,神代の昔、素盞嗚尊出雲の国造りの事始めをされてより、根の国に渡り熊成の峯に登り給い、柏の葉をとりて占い『吾が神魂はこの柏葉の止る所に住まん』と仰せられてお投げになったところ、柏葉はひょうひょうと風に舞い遂に美佐伎なる隠ケ丘に止った、よって御子神天葺根命はここを素盞嗚尊の神魂の鎮ります処として斎き祀り給うたと伝う、当神社神紋の由来もここにある。
かように日御碕は素盞嗚尊の鎮ります霊地として根の国の根源として中央より厚く遇せられ、神の宮は素盞嗚尊をお祀りする日本の総本宮として厄災除、開運の神と天下の崇敬をうけ今日も崇敬者の跡が絶えない。「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年
鳥居 社号標
手水舎 楼門(重文)
廻廊(重文) 日沈の宮(下の宮)拝殿(重文)(改修中)
幣殿・本殿(重文)
幣殿(重文) 本殿(重文)
神の宮(上の宮) 拝殿
本殿・幣殿(改修中)
楼門内境内社 左右の門客人社(重文)
神の宮から境内を写す 末社棟
神倉 神倉の左手 荒魂神社
荒魂神社の右手蛭児社
神の宮奥稲荷社
境外 日御碕神社から港へ少しのところに大きな神社 摂社だろうか?
日御碕(ひのみさき)
島根半島のほぼ西端で日本海に面する岬。周辺には柱状節理や洞穴が見られ、海上には小島や岩礁が点在する。
山陰道 出雲ICから18km 約35分
JR出雲市駅からバスで45分、出雲大社からバスで20分
日御碕灯台
灯台 自販機の上にウミネコが遊びに来ている。売店の人がえさをやっている仲良しのウミネコだといわれた。