垂水神社(式内 意保美神社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 垂水神社
読み:たるみ
延喜式神名帳 式内社 出雲国出雲郡 意保美神社(論社)
読み:いほみ
所在地 島根県出雲市河下町549
旧地名 出雲国出雲郡
御祭神 瀧津姫命 垂水四郎
例祭日 10月14-15日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座 大37(就中一座月次新嘗。)小523
出雲国 187座(大2座・小185座)
出雲郡[イツモ]:58座 大1 小57

近代社格制度

創建     年代不詳
本殿様式  大社造変態

境内摂末社(祭神)

水神・荒神社・山神・稲荷神社

一口メモ

島根半島の西、十六島湾という島根半島では大きな湾には式内社が数社固まって集まっている。しかしグーグルナビに載せられている有名神社は垂水神社のみ。事前調査でよく調べていなかったようで許豆神社を落としていたようだ。奥宇賀神社を探して同じ道を何度もまわったので時間がかかり、垂水神社、意保美神社、奥宇賀神社の他にも式内社の許豆神社(北宮)と許豆神社(南宮)の前を数回通っていたのに気付かなかったのが残念。

歴史・由緒等

式内意保美神社には論社が二社あって、同じ河下町の東西に位置している。先にマップに載っている垂水神社は、旧道の小高い坂道の最上部にある。
犬を連れて通りがかった散歩中の人に意保美神社の場所を尋ねると、ここだと言われた。そうして思い出したように、ここは西宮ともいい、東宮のことだったら郵便局の裏手ですと教えて頂いた。

「延喜式神社の調査」さんに、「近世において式内意保美神社に比定する説が表れた。」とある。垂水神社に式内意保美神社が合祀されていて、垂水神社すなわち意保美神社でもあるのかも知れない。

式内意保美神社論社
意保美神社 猿田彦之大神 天鈿女之大神 島根県出雲市河下町217
垂水神社  瀧津姫命 垂水四郎     島根県出雲市河下町549

祭神がこの地を領した垂水四郎となっている。元々の祭神はその垂水四郎を祀る垂水神社だと思う。
垂水四郎については、地元の調査をされている鰐淵コミュニティセンターのホームページ「鰐淵探訪」に詳しく書かれていた。

垂水四郎とは、播州、白播城主 赤松彦次郎教康(あかまつひこじろうのりやす)の嫡男で赤松四郎祐信(あかまつしろうすけのぶ)が、康正元年(1455)夏五月、将軍 足利義政のために父祖滅亡の後、播州を出奔して諸国を漂泊した後、寛正年中(1460)に川下村の垂水谷に蟄居し、世間の人は垂水四郎と称した。
将軍足利義教を殺害した嘉吉の乱(1441)の首謀者赤松満祐は、垂水四郎の祖父にあたる。
垂水四郎は、川下村の原氏の娘某女を妻とした。妻の実家である原家は現在も河下町に実在する。
垂水四郎と妻の間には、信勝と称す男子が1人あったが、垂水四郎は、文明13辛丑年(1481)に河下で没した。
垂水四郎は、現在の垂水神社裏の築山を造り植林を行って、河下の土地を塩害から守り耕作可能な耕地とした。また、当時の中央の知識人として各方面に精通しており、地域の人々に大きな貢献をした。
垂水四郎が没した後、村人は、垂水明神として祀った。

もう一方の祭神は瀧津姫命としてある。意保美神社の祭神を合祀したものだろうか?意保美神社の祭神は猿田彦之大神 天鈿女之大神としているが。

境内・社叢

  
全容                    手水鉢

   
狛犬 出雲の「構え獅子」型

 
拝殿                    拝殿扁額

  
本殿                    本殿左手境内社 水神・荒神社・山神

地名・地誌

地 図

島根県出雲市河下町549

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

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