大宝神社
Contents
概 要
社 号 大宝神社
読み だいほうじんじゃ
古くは大宝天王宮
境内社追来神社 式内社 近江国栗太郡 意布伎神社
別 名
所在地 滋賀県栗東市綣(へそ)7-5−5
御祭神
御神紋 左三ッ巴
例祭日 5月 5日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
栗太郡 8座 大2座 小6座
近代社格制度
創建 年代不詳
本殿様式 三間社流造
境内摂末社(祭神)
追来神社(重文) 稲田姫神社 伊勢両大神宮 八幡蛭子神社 大国主神社 稲荷神社 市杵嶋神社 日吉神社他24社
文化財
木造狛犬 一対 追来神社本殿 国指定重要文化財
大木造狛犬 一対 県指定文化財
境内社 稲田姫神社本殿、大宝神社拝殿 市指定文化財
追来神社 重文
一口メモ
JR栗東駅の北、県道2号線沿い。一つ道を入ると静かだ。
式内 意布伎神社論社は次の4社
大宝神社境内社 追来(オフキ)神社 素盞嗚尊 栗東市綣7丁目5−5
三大神社(意布伎神社) 志那津彦命 志那津姫命 草津市志那町309
志那神社(意布伎神社) 志那津彦命 志那津姫命 草津市志那町727
郷社惣社神社(意布伎) 草津市志那中町238
歴史・由緒等
当神社は当郡小平井村信濃堂に降臨のところ、大宝元年疫病流行の時神教に依て当地に鎮座され、大宝天王の神号と神階正一位を勅定された。この儀は神社啓蒙諸社一覧、日本風土記、和漢三才図絵等の書に記され、また大宝元年遷座の時下し賜わった御綸旨今に伝来する。永享五年足利義教より神領三百十一石を寄進され、その朱印状も現存する。永禄年中兵乱により五十郷の氏子も次第に減じて三十二箇村となり、元亀二年信長公が比叡山を燃亡の折三百十一石の社領は上地となり社殿のみ残った。寛永六年徳川家は綣村を渡辺山城守の所領とし、境内社日吉神社灯明田一反歩の寄進があり、その後の社殿建立、修復を子孫に継いで怠らなかった。また享保元年京都宝鏡寺宮より四脚門両築地付の寄進があり、元禄二年曼珠院宮二品良尚親王より大宝天王宮の御染筆の額の寄進、天明八年御室御所より御紋付の提灯御寄附、寛政六年同所より金五十両寄進あり、その御墨付も現存する。
明治に入り時宗仏眼寺と分離し大宝神社と改めた。それ以後も氏子区域は広く、各大字に境外社三十八社を教える。明治九年村社、同十四年郷社に加列。
尚境内社追来神社の創祀年月は古く不詳であるが弘安六年棟上の記があり重文に指定されており、木造狛犬に伊不伎里惣中とあるので、延喜式内社意布伎神社であるとの説もあるが不明である。
『滋賀県神社庁』
境内・社叢
一の鳥居 二の鳥居
手水舎(右上は拙者の指w) 神門(両築地付四脚門)
由緒石板
拝殿 中門・本殿
本殿 式内追来神社(重文)
八幡・蛭子神社 大国主神社 稲田姫神社
愛宕社 日吉神社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
ホームページ www.daihoujinja.jp/
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