守屋祠(四天王寺願成就宮)
Contents
概 要
社 号 四天王寺(金光明四天王大護国寺)
守屋祠
読み: もりやのやしろ
所在地 大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
旧地名 摂津国東生郡
御祭神 物部守屋大連(もののべのもりや おおおむらじ)、弓削小連(ゆげの むらじ)、中臣勝海連(なかとみのかつみ のみらじ)
例祭日毎月21日の大師会の日に絵堂への入り口の門があけられる。この時に参拝できる。
社格等
式外社
創建
本殿様式
一口メモ
放送大学面接授業で、聖徳太子と四天王寺を聴講見学で、空いた時間に参拝。(といっても境内へは入れない)
歴史・由緒等
四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び日本における本格的な仏教寺院としては最古のものである。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいう。
『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称が伝えられている。
宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に和宗総本山として独立している。
四天王寺を表側からみるのではなく、神社サイトなので、物部守屋に焦点を当てたい。
願成就宮と呼んでいる。聖徳太子の誓いによって物部氏の土地を没収し物部氏の部民を使役して四天王寺を建立したのであるが、これを守屋公の霊がお許しになった事、さらにお助けになった事で、無事四天王寺が出来た事を願いが成就できたとして、守屋公を祀ったと伝えられている。
『摂津名所図絵』の四天王寺の項にも守屋祠のことが記されていて、参詣に来た人たちが守屋の名を憎んで礫を投げて祠を破壊したので、寺僧がこれを傷(いた)んで熊野権現の立て札を立てたという。祠のそばには、元禄7年の銘がある石灯籠が寄進されている。これらのことから、四天王寺が守屋祠を決しておろそかに扱ってこなかったことがわかる。
境内・社叢
四天王寺鳥居
守屋祠(太子殿絵堂東脇)
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
大阪市営地下鉄谷町線 四天王寺前夕陽ヶ丘駅から南へ徒歩5 分
JR天王寺駅から北へ徒歩12 分
ホームページ 『四天王寺公式サイト』 http://www.shitennoji.or.jp/
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