山王宮日吉神社 (摂社 式内 杉末神社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 山王宮日吉神社
境内社 式内社 丹後国與謝郡 杉末神社
読み:古 スキスエ、現 すぎのすえ
所在地 京都府宮津市宮町1408
旧地名 丹後国與謝郡宮津町宮町

本社 主祭神 オオモノヌシ(大物主命)、スクナビコナ(少彦名命)
式内社 丹後国與謝郡 杉末神社
主祭神 {大物主命|おおものぬしのみこと}  {少彦名命|すくなびこなのみこと}
例祭日 山王祭(宮津祭) 5月15日

神輿に神様を乗せ全町の平安を願い町内を巡ります。さらに神楽と浮太鼓がお祭りを一層盛り上げています。
西地区では、「浮太鼓」は漁師町、「神輿担ぎ」は各町青年によるミコシ組の持ち役とし、「神楽」だけを八か町の輪番制とするなど、役割が決められています。

社格等

杉末神社
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
與謝郡(ヨサ):20座(大3座・小17座)
式内社

日吉神社 山王宮
近代社格制度 旧郷社
創建 平安時代
本殿様式 入母屋造

境内摂社(祭神)

摂社
式内杉末神社 大物主命(おおものぬしのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)

末社
恵比須神社 事代主命(ことしろぬしのみこと)
船魂神社 猿田彦命(さるたひこのみこと)
年徳神社 大歳神(おおどしのかみ)
琴平神社 大物主命(おおものぬしのみこと)
致命壮烈社 護国の英霊
山神社 大山祇命(おおやまつみのみこと)・句々廼馳命(くくのちのみこと)

文化財

本殿・拝殿・杉末神社・恵比寿神社・船玉神社 京都府指定文化財
含紅桜・漱玉亭さざんか 宮津市指定天然記念物
漱玉亭庭園跡 宮津市指定史跡
山王祭を描いた祭礼図・経筒(平安後期)・漱玉亭庭園図・山王祭礼図下絵 市指定文化財
祭礼「浮太鼓」 宮津市指定無形文化財

一口メモ

国 国道176号に大きな日吉神社案内があるので、そこから旧道に進む。社 号標がある車が一台通れる細い道を進むと、「山王宮」の額が掛かる明神鳥居。宮津藩の守護神である日吉神社。
北近畿タンゴ鉄道宮津線の鉄橋が横切っている。ちょうど丹後エクスプローラーが通過した。

宮津は亡き父が税務署員だったとき宮津の税務署へ単身赴任していた場所。早くして他界した父と遊んだ記憶は少ないので、宮津に来るたびに、幼い頃に母と来て父と家族で天橋立の遊園地などに行ったことおぼろげに思い出す。当時は、自家用車もなく豊岡から宮津線での宮津や舞鶴はずいぶん遠く感じた。

歴史・由緒等

山王宮日吉神社は、宮津総氏神また宮津藩の守護神として、本殿右隣にある式内摂社「杉末神社」と共に平安時代から続く神社です。主祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)・大己貴神(おおなむちのかみ)で、社記によれば平安後期に現在摂社である杉末神社境内に勧請されたとあります。

杉末神社は赤ちゃん初土俵入が行われる神社ですが、平安時代初期に記された延喜式神名帳に宮津で唯一登載されています宮津最古の神社で、宮津の地に人々が住み着いた遙か昔から、宮津の守り神として崇められてきました。
宮津(宮のある入り江)という地名の由来となった神社です。

江戸時代に入り、歴代宮津藩主は山王宮を宮津の総氏神として藩の守護神とします。ご本殿や幣殿、そして神輿や石灯籠まで藩主により再建、造営され神域中心に主神として祀られます。それにともない式内・杉末神社は摂社として宮津西地区の守り神となります。江戸中期の文書では宮津の城下のほぼ全てが山王宮の氏子であるとされていますが、そうした中で続いてきましたのが例祭である山王祭です。

藩祭とされた山王祭は城下上げての大祭で武家、町民挙って参加しました。宮津祭と呼ばれる所以です。山王宮日吉神社は宮津を統一する総氏神として城下町衆と共に様々な伝統儀式を執り行って今日に続いて来ました。宮津の町と山王宮は一体となって城下町独特の素晴らしい鯔背な祭文化を形作ってきたといえます。。
現在でも毎月初めの1日、また例祭日と同じ15日には月次祭が執り行われ、宮津の平安を祈る儀式が変わらずに続けられています。

ー神社公式サイトより-
日吉神社は、古来山王社と号した。江戸時代に入り、近江坂本の日吉大社から勧奨したと伝えられ、歴代宮津藩主の崇敬を受け、宮津郷の惣産土神であったという。杉末神社は、平安時代初期に記された延喜式神名帳に宮津で唯一登載されている宮津最古の神社。赤ちゃん初土俵入が行われる神社です。

宮津の町では昔から「山王さん」の名で親しまれています。神社ができたのは平安期と伝えられ、 江戸時代より歴代宮津藩の守護神として城主の深い信仰を受け、お殿様、ご家中を始めとした城下町宮津の総氏神とされて参りました。 そのため当神社の例祭(山王祭)に限り特に宮津祭の名で呼ばれています。

山王宮に鎮まります神々は、昔より「災難除去の神」とされ、 不幸をもたらす悪霊(まがつび)を遠ざけ災難より万物を守る非常に強い力を持つ神と言われています。 そのため古来数多くの信仰を集め、季節を通し行われる数々の御祭では、古式に定められた儀礼の中で、災厄は祓われ幸福が祈願されています。
今日「厄除祈願」「交通安全祈願」等に遠方からの参拝者が多いのも、そうした御神力によるものと言えます。
≪平成祭データより≫

漱玉亭跡庭園
延宝年間(1673~81)に藩主永井尚長によって漱玉亭(そうぎょくてい)と命名された庭園跡は今もその一部が残っている。

境内・社叢

  
社号標                   参道

  
一ノ鳥居


参道は京都丹後鉄道の高架をくぐる。偶然KTRタンゴエキスプローラーが通過した。鳥居とのコントラストが面白い。ちなみにタンゴエキスプローラーは2011年に廃止されたので偶然走行と遭遇した貴重な撮影。

  
社頭


社頭案内板


神社由来案内板

  
手水舎                       拝殿

  
拝殿側面                      幣殿・本殿


本殿


摂社 式内杉末神社(本殿右)府登録文化財

宮津の地名の由来となった当地最古の神社。寛政6年(1794)に再建


境内社 船魂神社(猿田彦命)府登録文化財

  
境内社 年徳神社(大歳神)             末社 山神社

  
赤ちゃん初土俵入が行われる土俵           神馬舎

  
左境内社 琴平神社(大物主命) 恵比須神社(事代主命)府登録文化財    琴平神社

  
恵比須神社               致命壮烈社(護国の英霊)本殿左奥

  
漱玉亭跡庭園


延宝年間(1673~81)に藩主永井尚長によって漱玉亭(そうぎょくてい)と命名された庭園跡は今もその一部が残っている。

地名・地誌

宮津(みやづ)

1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの功により京極高知に徳川家康から丹後一国が与えられ丹後藩が成立する。のちに京極高知の三子により丹後藩は三分割され、宮津藩、舞鶴藩、峰山藩の丹後三藩が成立した。宮津藩京極家は改易され、替わって本庄家が藩主となった。

1954年(昭和29年)6月1日:与謝郡宮津町・栗田村・吉津村・府中村・日置村・世屋村・養老村・日ヶ谷村が合併し、市制施行。
1956年(昭和31年)9月20日:加佐郡由良村を編入。

宮町

宮町は、江戸期~明治22年の町名
明治22年 宮津町宮町
昭和29年 宮津市宮町

地 図

交通アクセス・周辺情報

天橋立
磯清水(名水百選)
宮津城
金引の滝(日本の滝百選)
カトリック宮津教会(畳敷きの聖堂) – 現存の木造教会としては日本で2番目に古く、現役で使用されているものとしては日本で最も古い。
旧三上家住宅 – 国の重要文化財の廻船業を営んだ豪商の旧邸。庭園は「三上氏庭園」として府指定名勝。
滝上公園(桜の名所)
籠神社(丹後国一宮)
成相寺
智恩寺
山王宮日吉神社 – 神事「赤ちゃん土俵入り」で有名
金剛心院 – 後宇多天皇より下賜された愛染明王(秘仏、国の重要文化財)が本尊。丹後最古の仏像とされる伝宝生如来(国の重要文化財)などの文化財も所蔵。
如意寺 – 山椒太夫伝説に縁のある寺。

参 考

「神詣」さん、「延喜式神社の調査」さん、「丹後の地名地理・歴史資料集」さん

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