府社 城南宮(式内 真幡寸神社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

現社 号 城南宮
読み:じょうなんぐう
江戸時代は「城南離宮社」「方除けの城南宮」と親しまれた
山城国紀伊郡
所在地 京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
旧地名 山城国紀伊郡
御祭神
主祭神
息長帯日売命(おきながたらしひめ のみこと)…神功皇后
八千歳神(やちほこのかみ)…八千矛神=大国主神
国常立尊(くにのそこたち のみこと)

配祀
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
品陀別命(ほむだわけ のみこと)…誉田別命=応神天皇
別雷神(わけいかづちのかみ)
大山咋神(おおやまくいのかみ)
天児屋根命(あめのこやね のみこと)
宇気毛智神(うけもちのかみ=保食神)
例祭日 7月20日

境内摂社 延喜式神名帳 式内社 山城国紀伊郡 眞幡寸神社二座
読み:マハタキ
所在地 京都市伏見区中島宮ノ後町33-1

御祭神 眞幡寸大神 品陀和氣尊

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
紀伊郡 8座 大3座 小5座
近代社格制度 旧府社

創建      弘仁七年(816)
本殿様式   流造

境内摂末社(祭神)

式内真幡寸神社、唐渡天満宮、芹川神社、三照宮社
本殿右末社 天満宮・妙見・金刀比羅社、庚申社、大国主社、春日社
本殿左末社 稲荷社、厳島・住吉・兵主社、粟島社

一口メモ

桂川・高瀬川・鴨川が合流する手前の鴨川東岸で、交通至便な場所。一筋入った正面参道の第二駐車場界隈は、昔ながらの静かな通り。かつて離宮だっただけに広大な神域と神苑に囲まれており壮観。

歴史・由緒等

旧社格は府社。「方除の大社」として知られている。創立年代は不詳である。この地にあった式内社「真幡寸神社」に、神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てた旗に神功皇后・八千戈神(大国主神)の神霊を添えて奉斎したのに始まると伝える。平安遷都の際に国常立尊が併祀され、城(平安京)の南にあることから「城南神」と呼ばれた。白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部となり、代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあった。また後代になると京都御所の裏鬼門を守る神となったことから貴族の方違の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようになった。
応仁の乱などの戦乱で荒廃したが、江戸時代になって復興された。幕末の文久3年(1863年)には孝明天皇の攘夷祈願の行幸があった。新政府軍の掲げる錦の御旗の前に旧幕府軍が総崩れとなった慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの主戦場となったものこの地である。
明治10年(1876年)には式内社「真幡寸神社」に比定され、社名を「真幡寸神社」に改称した。しかし昭和43年(1968年)に「城南宮」に復し、「真幡寸神社」はその境内摂社として境内に新たに社殿を設けて奉祀されることになった。
近年では転居、旅行の厄除けから転じて交通安全の神としても広く信仰されており、毎年7月には自動車の茅の輪くぐりが行われる。(ウィキペディア)

平安遷都の際に、国土の安泰と都の守護を願って、王城(都)の南に祀られたお宮であることから、城南宮と称えられます。鳥羽の地は、平安京の表玄関に当たる交通の要衝であり、また鴨川と桂川に臨む景勝地でもありました。
やがて貴族の別荘が建てられるようになり、平安時代の末には白河上皇が壮大な離宮(城南離宮、鳥羽離宮)を造営して院政を開始されたのです。

熊野詣出立の地

平安時代の末になり、紀州の熊野三山に参詣することが一大ブームになりました。出立の前には精進潔斎を重ね、道中の無事を祈り旅立ちました。特に白河上皇や鳥羽上皇は熊野詣の精進所として城南離宮をしばしば選ばれました。ここに7日程籠って身を清め、道中の安全を祈願して、往復一月にも及ぶ信心の旅に出掛けたのです。
また当時の人々の心を捉えた方違えの宿所に城南離宮が選ばれる事も多く、城南宮の方角の災いを除く方除、旅行安全の信仰を見ることができます。

-『神社公式サイト』より-

式内 真幡寸神社の当初鎮座の地は、下京区油小路名神ガード下る西側若宮八幡宮のある地であったが、平安末期に現在地へ遷座された。

境内・社叢

  
鳥居                        鳥居扁額

  
二の鳥居                      社号標

  
御神燈                       菊水若水(手水舎)

城南宮鳥居
本殿に向かって正面にある赤い鳥居はよく見ると変わった様式となっている。これは城南宮鳥居と呼ばれ、基本型は神明鳥居に属するが、柱下に饅頭があり、棟の部分に島木・笠木を重ねて、さらに屋根を葺いている。その島木の正面中央に神紋の金具が打たれている。

菊水若水(手水舎)

城南宮の菊水若水の井の水は霊験あらたかで、江戸時代の初め、霊元法皇も菊水若水を飲まれたという記録がある。東大寺のお水取りの香水は、若狭・遠敷川から「菊水若水」を通り、二月堂の若狭井に達すると伝えられている。また、お百度を踏んで祈願して水を持ち帰る習慣も伝わり、現在では、伏見の名水10カ所にも選ばれ、春先に行なわれる伏見名水スタンプラリーには多くの人々が参加している。

  
拝殿                        本殿・拝所

   
狛犬

  
本殿内

  
本殿 奥の本殿と前方の拝所まで長く、中央には破風があり屋根が3棟に見える


神楽殿 境内右手

参道右手(手前から) 境内摂社 式内真幡寸神社

  

  
唐渡天満宮                     芹川神社(左の小社)・唐渡天満宮


本殿赤鳥居前 三照宮社

  
本殿右末社 天満宮・妙見・金刀比羅社、庚申社、大国主社、春日社
本殿左末社 稲荷社、厳島・住吉・兵主社、粟島社

地名・地誌

鳥羽(とば)
京都駅から南部へ、城南宮のある桂川と高瀬川にはさまれた南北に細長い一帯が鳥羽、五香宮や伏見稲荷のある高瀬川から東が伏見。

鳥羽・伏見の戦い (とば・ふしみのたたかい)

大政奉還後間もない慶応4年1月3日 – 6日(1868年1月27日 – 30日))、江戸幕府の兵が薩摩・長州の兵をうつため、大阪から京都に入ろうとして、山城国の鳥羽と伏見で起こった戦い。大政奉還後まもない1868年1月、鳥羽、伏見において、薩摩・長州の軍勢と旧幕府の軍勢が交戦した出来事。戦いは京都南郊の上鳥羽(京都市南区)、下鳥羽、竹田、伏見(京都市伏見区)で行われた。結果は、江戸幕府軍の大敗であった。鳥羽伏見の戦いを端緒として戊辰戦争が始まった。江戸幕府の終わりから明治新政府の樹立にいたる過渡期の事件といえる。
さらに

地 図

交通アクセス・周辺情報

京都市営地下鉄・近鉄竹田駅下車 徒歩15分、市バス5分
JR京都駅 地下鉄 又は 近鉄のりかえ7分 竹田駅下車
阪急烏丸駅地下鉄のりかえ10分 竹田駅下車
阪急大宮駅 市バス18「城南宮道」下車 徒歩3分
京阪中書島駅 市バス19「城南宮」下車 又は 市バス南3
京阪バス6、京阪シティバス24・24A「城南宮東口」下車
「らくなんエクスプレス」(R’EX) 15分 京都駅八条口より
土休日は、京都らくなんエクスプレス「城南宮前」下車 徒歩約1分
平日は、「油小路城南宮」下車 徒歩約4分
市バス 30分 京都駅烏丸口より
市バス19「城南宮道」下車 徒歩3分

車 名神高速道路京都南I.Cから国道1号線南方面へすぐ
参拝用無料駐車場が第一駐車場(国道1号線側)、第二駐車場(東側)と2ヶ所あり
※1時間に一本ですのでご注意ください。

ホームページ 『神社公式サイト』

参 考

『神社公式サイト』、「延喜式神社の調査」さん、他

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