式内 下塩津神社
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概 要
社 号 下塩津神社
読 み しもしおつじんじゃ
式内社 近江国淺井郡 下鹽津神社
別 名 江戸時代は「熊野三社権現」
所在地 滋賀県長浜市西浅井町集福寺455
御祭神 主祭神
配祀神 伊邪那岐命 伊邪那美命
御神紋 十六弁菊花五七の桐
例祭日 8月17日 例大祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
淺井郡 14座 小14座
近代社格制度 旧郷社
創建 16代仁徳天皇3年(315年)4月創祀
本殿様式 流造檜皮葺
境内摂末社(祭神)
神明神社・白山神社
文化財
一口メモ
国道8号線を敦賀方面へ向かい、JR湖西線が北陸本線とつながる塩津駅を過ぎて緩いカーブにある高架下をくぐると集福寺。その集落の奥に鎮座。拝殿・本殿は覆屋で保護されている。創建年代から見ても古社であるので、老朽化が激しいのだろう。
歴史・由緒等
当社由緒に関する古記録によると、人皇十五代応神天皇が塩土老翁の神徳を知り二人の皇子に、塩土老翁の神霊を祀る事を命じられた。茲に二皇子、淡海の集福蘇翁に命じ下塩津の郷集福寺小松山小稲森に社祠を建て塩土老翁の神霊を鎮祭させて下塩津神社と称え奉った。
第六十代醍醐天皇の昌泰2年(899)今出川大納言の子の天台僧が当社神宮寺の吉祥寺の社僧となつ、紀伊の国熊野神社の伊邪那伎命・伊邪那美命の二神を勧請して熊野三社権現と称え奉るに至つた。下塩津郷五ケ邑並びに境内七町四方を神領とした。永享4年(1432)2月従五位の神階を宣下される。
延喜式神明帳に浅井郡十四座とあるが、その中に下塩津神社とあるのは当社である。「社頭掲示板」
境内・社叢
鳥居 手水舎
拝殿覆屋 左から本殿・幣殿・拝殿
狛犬 後ろの建物は区の立派な鉄筋コンクリートの公民館
本殿左手境内社 神明神社 右手境内社 白山神社
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