式内 乎彌神社
Contents
概 要
社 号 乎彌神社
読 み おみ
式内社 近江国伊香郡 乎彌神社
(合祀)式内社 近江国伊香郡 乃彌神社
別 名
江戸時代は「大音大明神社」
所在地 滋賀県長浜市余呉町下余呉2053
御祭神 主祭神
配祀神 海津見命
御神紋 左三ツ巴
例祭日 4月6日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
伊香郡 46座 大1座 小45座
寛延2年(1749)相殿に乃彌神社を合祀
近代社格制度 旧村社
創建 伝)崇神天皇の時代
本殿様式 流造檜皮葦
境内摂末社(祭神)
八幡神社・村草神社・大名持神社・塞神社・祖霊社
文化財
一口メモ
国道365号線から琵琶湖の北にある以前から一度来てみたかった余呉湖へ向かう中間の小山麓にある。整備された参拝者陽駐車場から赤い橋を渡る。橋の入り口にはイノシシなど獣よけの網のゲートがあるので、参拝者が簡単な止め金を外してから入る。
歴史・由緒等
当社の創建は悠久の上代で、その年代詳らかならずと雖も、往昔この地に繁栄えし天之児屋根命一世の孫臣知人命の後裔が、同命を祖神として祀り、後又臣知人命の御子、梨津臣命が威徳優れ、この地の開発に努められた。恵澤を憶ってこれを別殿に奉祀した。これ当社の始めである。
臣知人命を奉祀せし社を「乎彌神社」と奉称し、梨津臣命を奉祀せし社を「乃彌神社」と奉称し、両社とも延喜の制による式内神社である。 而して中古、下余呉の郷は、北組南組の二組に別れ、北組は乎彌神社を、南組は乃彌神社を奉斉して来たが、賤ヶ岳合戦の兵火の為め両社の社殿悉く焼失したるが故に仮の一社殿を築造して両祭神を合祀し奉斉したが、降って寛延2年(1749)1月、両組相議って、更に規模広大なる一社殿を再築し、両祭神を合祀し父神を祀り来た乎彌神社を以て社名となし、両組ともその氏子として相和して今日に至っている。 当社は余呉湖尻の水の流れる要所たる故にか、承応年間(17世紀)に海神、海津見命をも合祀したのである。
「村草神社」(祭神・天照皇大神)は江土区の守護神であり、「八幡神社」(祭神・誉田別尊)は、北組の守護神であった。「大名持神社」(祭神・大名持命、少彦名命)は、当社の近傍に鎮座ありしと謂われ、「塞神社」(祭神・八衢比古神、八衢比女神、久那土神)は本郷区の中央の広場、「みちのした」と称する地に鎮座されたのである。
以上四社の合併祭も、当社に於ける恒例1月8日の合併記念祭に神名を称えて祭祀されるのである。
平成25年1月
昭和丁丑の会
「社頭掲示板」
境内・社叢
神橋と鳥居 社号標
手水舎
狛犬
拝殿 本殿
境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
余呉湖
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