式内 伊也神社
Contents
概 要
社 号 式内社 丹波国何鹿郡 伊也神社
読み 古 イヤ 現 いや
江戸時代は「稲荷社」
所在地 京都府綾部市広瀬町上ノ町76
旧地名 丹波国何鹿郡
御祭神
大日靈賣尊(おおひるめのみこと)=天照大神 月夜見尊(つくよみのみこと) 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
例祭日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
大37座(就中一座月次新嘗)小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
何鹿郡(イカルカ):12座 並小
近代社格制度 旧村社
創建 不詳
本殿様式 流造瓦葺
境内摂末社(祭神) ナシ
一口メモ
河牟奈備神社(綾部市)から府道1号線を山家(交差点) まで南下。
山家駅からは、山家(交差点) を右折して 国道27号線 に入り、1kmで左折し坂道に。城址公園と道の反対側に陣屋跡の 模擬門と藩主の祖霊を祀る谷霊神社がある。
歴史・由緒等
崇神天皇の御代、丹波道主命この地に先臨し給い、甲ケ峯麓に宮を築き祀られたのが、初で、後、伊也神社を勧請し、何鹿郡延喜式十二座の一に数えられている。
天正年中火災により消失、その跡を御社(ごしゃ)と呼び居りしが、文化七年(1810)十月、従二位清原宣光公、願成就により現在地盤座の清地に御本殿を移転新築された社である。
明治3年、類焼、翌年再建、昭和55年修復す。
「綾部市観光協会」
境内・社叢
鳥居 参道
社頭掲示板
参道 城山への案内
本殿
藩主の祖霊を祀る谷霊神社
御祭神
谷大膳亮衛好(たにだいぜんのすけもりよし)
谷出羽守衛広(たにでわのかみもりひろ)
安永七戌戌年(1778)九月第七代従五位下播磨守衛秀公が、 藩祖三木の陣に戦死してから二百年に当り、三木の大膳廊に墓碑を建立し、谷霊神社を建立する。
≪山家史誌より≫
山家藩陣屋跡 谷霊神社社号標 模擬門 資料館になっている
谷家家紋 揚羽蝶 池田家と同じ
本殿
地名・地誌
山家藩(やまがはん)は、丹波国何鹿郡山家周辺を領有した藩。藩祖・谷衛友は織田信長・豊臣秀吉に仕え、丹波国山家にて1万6000石を領した。藩庁は山家陣屋(現在の京都府綾部市広瀬町)。藩主家の谷家は公家の園家を通して皇室との縁が深く、現皇室にも谷家の血が入っている。
地 図
交通アクセス・周辺情報
山家藩の陣屋跡・谷霊神社
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