式内 伊伎佐神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 式内社 但馬国美含郡 伊伎佐神社三座
読み:古 イキサ、現 いきさ
江戸時代は「伊楽大明神」「伊伎佐大明神」と称していた

所在地 兵庫県美方郡香美町香住区余部字宮内2746-2
旧地名 但馬国美含郡餘部郷(村)
御祭神 伊弉諾尊(イザナギ)
配祀 彦座王命 天兒屋根命 出雲色男命 応神天皇

『国司文書 但馬神社系譜伝』
彦坐命(ヒコイマスノミコト)・五十狭沙別(イササワケ)命・出雲色男命
例祭日 7月14日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
美含郡(ミクミ):12座(並小)

近代社格制度 旧村社

創建     慶雲3年(706)7月
本殿様式   春日造 柿葺正面一間、側面一間、向拝一間(岩壁に取り付く) 貞享二年(1685)、近代の改造大し

境内摂社(祭神)

稲荷社・三柱社・恵比須社

一口メモ

日本一の高さを誇る有名な余部鉄橋の近くにあり、何度も前を素通りしていることになるが、この神社を目的に初めて訪れた。余部鉄橋は今年23年コンクリート橋梁が完成したのでもう鉄橋ではないが。ここは以前は美含郡餘部郷といわれ、香住と浜坂の中間に位置する入り組んだ但馬海岸の漁村のひとつで、JR山陰本線最後の区間となった香住 – 浜坂間は、山が海に迫る地形で海岸沿いに線路を通すことは不可能で最大の難所だった。集落の橋梁の両側には山陰本線最長の桃観トンネルと仕立トンネルにつながる。

歴史・由緒等

由 緒
文武天皇の御代、慶雲4年(707)7月、諸国に悪疫病が流行す。時の天皇は諸国に神祇を祀ることを命じられし時、美含郡大領椋椅連小楢、彦坐王命をここ伊岐佐の丘に勧請したことに創まる。更に天平7年(735)には伊弉諾命を勧請し、主祭神とする。

嘉祥4年(851)正月27日時の神祇官より、「正弐位の上」が授けられ、数少ない延喜式の小社に列し延喜22年(922)春3月には、奉幣の儀あり官社となる。

又、文永7年(1270)夏、異国(蒙古)来襲と聞き、武神男山八幡宮の御分霊、中臣氏の祖天児屋根命を勧請し、異賊退治の祈祷式を行ふなど由緒ある神社である。

-「兵庫県神社庁」-

『国司文書 但馬神社系譜伝』

人皇四十三代文武天皇の慶雲三年(706)七月、諸国に疫病流行し、人多く死す。美含郡司(大領)正八位上・椋埼部連(クラハシベノムラジ)小柄は、粟鹿大神・五十狭沙別大神を伊伎佐御崎に斎き祀り、祈禳(イノ)る。

人皇四十五代聖武天皇の神亀五年(728)五月、美含郡司(大領)従八位上・矢田部連守柄は、その族・勇山(イソヤマ)市午麿を召し、餘戸を開かしめ、吾田となす。
勇山市午麿は、その祖・出雲色雄命を伊伎佐宮に合わせ祀る。

境内・社叢

  
鳥居                    境内


拝殿

  
左手境内社                     右手境内社 

地名・地誌

地 図

兵庫県美方郡香美町香住区余部字宮内2746-2

交通アクセス・周辺情報

参 考

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