式内 伊多太神社(旧社地)
Contents
概 要
社号 伊多太神社(旧社地)
読み いたた
延喜式神名帳 式内社 山城国愛宕郡 伊多太神社
所在地 京都市左京区上高野西明寺山(大明神町)
御祭神 伊多太大神
例祭日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
愛宕郡 21座(大8座 小13座)
近代社格制度
創建 明治41年崇道神社に遷移
本殿様式 石標のみ
境内摂末社(祭神) なし
一口メモ
伊多太神社の旧社地は叡電八幡前駅の近く。崇道神社と同じ西明寺山の西約400mの麓にある。崇道神社は参拝したが、時間がなく立ち寄れなかったのが残念。
2016.7.28 愛宕神社参拝後、京都市内で唯一の式内社で旧社地とはいえ残っていたので。マップに載っていない旧社地へと狭い道を入り、ようやく発見。山手側かと思ったら市街地を見下ろせる場所。この道が後に出来たのかも知れない。
歴史・由緒等
この地は、現在、崇道神社(左京区上高野)境内に祀られている伊多太神社の旧社地になる。当社は、一帯の地主神社であり周辺で最古の社といわれている。
高野の地はかつて、山城国愛宕郡十二郷の一つ、出雲郷だったという。出雲族は山陰より丹波を経てこの地にも移住したともいう。このため、伊多太大社が合祀された近くの崇道神社の神事も、古来より出雲系神社の様式で行われてきたという。
「伊多太」は「伊達」「伊太氏」「躬楯」などとも記され出雲系農耕神だったと考えられている。「伊多太(いたた/いただ/いたて)」の語源は、「ゆだて(湯立て)/ゆだち」にあるともいう。湯立て神事とは禊の儀式になる。神前の大釜に湯を沸かし、巫女、神官らがこの熱湯に笹の葉をひたし、自らの体や参詣人に振り掛ける。かつて巫女は、宮中にも奉仕していたという。
境内・社叢
旧社地は大切に整備されている。
地名・地誌
地図
交通アクセス・周辺情報
参 考
京都風光 (京都寺社案内)
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