式内 伊尼神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

社 号 式内 伊尼神社
読み: 古 イチ、現 いち
江戸時代は「伊知宮大明神」「沼貫神社」「正一位一宮大明神」と称していた
所在地 兵庫県丹波市氷上町新郷1747
旧地名 丹波国氷上郡沼貫庄、沼貫村
御祭神 日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)、神大市比賣命(かむおおいちひめのみこと)
例祭日 10月10日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
氷上郡(ヒカミ):17座(並小)

近代社格制度 旧郷社

創建
本殿様式   春日造 銅板葺

境内摂社(祭神)

祓戸神社・春日神社・山神神社・?

一口メモ

北近畿豊岡自動車道氷上ICから県道7号線を南下し、 稲継(交差点) を右折して 国道175号線 に入る。橋の手前で右折して県道291号線に入る。900mほどで伊尼神社の案内標識があるので左折する。

歴史・由緒等

御由緒

當神社は人皇第二十九代欽明天皇の朝庚申の年の創祀と傳へられ丹波地方有名なる古社なり。
丹波平原開拓に當り国土経営の守護神として天孫彦火瓊瓊杵尊(紀)を齋き 祀り穀霊大市比賣命を配祀(神名帳考證七)せられたり。古へより伊知宮と稱へ奉る。延喜の制、国幣社に列せられ(延喜式)祈年、月次、新嘗の祭儀には国幣に預り国 家事ある時臨時使を差遣はされて奉告あり。されば貞觀、寛平、天慶、永保以後庚子 、辛酉の年には神階昇叙の御事あり。

古来領主並に武将の尊崇厚く明應三年(一四九 四年)當地赤井城主赤井伊賀守忠家公本社を造営、爾後累代崇敬深く弘治元年乙卯年 (一五五五年)十一月十八日其孫赤井五郎兵衛太夫家清公亦本社を再建甲冑一領を奉 納し武運長久を祈れり。延寳六年(一六七八年)小出伊勢守御検地御改めの節當神社 神宮寺遠林寺五十六間に五十間内畑貳反貳拾歩領主検地帳に除地と指定せられる。延 寳、天和以後當地旗本安藤、須田、水野三武将の崇敬殊に厚く當社が祈雨の明神とし て又武運長久の守護神として是等三氏の崇拝濃かりしことは其奉納せし金燈篭及額面 の今に存せるを見ても明らかなり。當社は沼貫庄の總社として又西丹波一帯の地方民の尊崇仰慕厚く例祭の如き「立會祭禮」と稱して西丹波地方より神輿又は段尻(屋臺 )を奉じて當社に集まり渡御に加列扈従し壮觀を呈し地方稀なる祭禮として遠近より参拝するもの多く總社として崇敬し来れり。

現今にては其祭事廃れたるも尚例祭の渡御には各村より神幣を奉じて其行列に列り今に其古風を遺存せり。明治六年村社に加 列、明治四十五年三月二十七日神饌幣帛供進神社に指定せられ昭和十三年七月十三日 郷社に加列、同十六年十月十五日舊社名奴々伎神社を伊尼神社に復古改稱、同十七年 六月十日縣社に加列せらる。舊拝殿新築は明治四十二年五月十六日にして舊渡殿は同 四十三年六月二十五日竣工せり。現在の拝殿並に社務所は昭和十六年十月十一日の竣 工にかかり現在の神饌所は舊拝殿を同時に移築せしものなり。

「全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年」

社が鎮座する社地は、かつての式内、奴々伎神社が鎮座していた社地である。当神社から東方の稲畑に向かい合うように今の式内社 奴々伎神社がある。伊尼神社のご由緒には、昭和15年12月18日奴々伎神社から伊尼神社に改称したとあるので、それまでは奴々伎神社だったが伊尼神社に改称した理由は不詳だ。

稲畑の奴々伎神社は、創立年月不詳 初め高見山に鎮座せし、其山麓に大沼ありしかば沼池大神と尊稱す。昭和15年、奴々伎神社から伊尼神社に改称したと同時期に、同じ村内の稲畑の神社も奴々伎神社と改称したということか。

ならば式内社 伊尼神社はどこにあったのかとなるが、
延喜式神名帳に、伊尼神社・奴々伎神社はすでに同一の所在地になっているから、それ以前は別々の場所だったかも知れない。

奴々伎神社[ヌヽキ] 伊尼神社[いち]「日子番能邇邇藝命 配 神大市比賣命」欽明天皇の朝庚申の年の創立。兵庫県氷上郡氷上町字新郷1747

境内・社叢

  
鳥居                     社号標

  
手水舎                    神仏習合の名残り 鐘楼がある

  
拝殿

  
境内社

地名・地誌

石生の水別れ(氷上町石生地区 いそうのみわかれ)

瀬戸内海側と日本海側のほぼ中間に位置し、日本一低い中央分水界「谷中分水界」標高95.45m。瀬戸内海に流れ込む加古川水系の佐治川の源流域と、日本海に流れ込む由良川水系の竹田川の源流域が、丹波市氷上町石生(いそう)付近で近接しており、雨水を二手の水系に分ける場所として「水分れ(みわかれ)」と呼ばれている。太古の昔から、南北の生き物が交流するルート(回廊)であり、多様な文化の通う路でもあったことから、氷上回廊と名づけられた。

内陸域で最も低い陸上の移動ルートであったことから、日本海側の多雪地に適応した北方系の生き物と、温暖湿潤な気候に適した南方系の生き物など、南北それぞれの気候風土に適応した陸上生物が、ここを通り抜けて分布を拡大してきたことである。

氷上市(旧氷上郡・ひかみぐん)
人口71,753人、面積493.28km²。(2003年)

2004年10月31日の時点で以下の6町を含んでいた。
青垣町(あおがきちょう)
市島町(いちじまちょう)
柏原町(かいばらちょう)
春日町(かすがちょう)
山南町(さんなんちょう)
氷上町(ひかみちょう)
2004年11月1日、6町が合併し丹波市となったため消滅した。

氷上町

1889年(明治22年)4月1日 成松村、石生村、本郷村、葛野村、沼貫村、由良村が設置される。
1891年(明治24年)1月10日 由良村が改称、幸世村となる。
1907年(明治40年)12月1日 石生(いそう)村と本郷(ほんごう)村が合併し生郷村となる。
1912年(大正元年)10月1日 成松村が町制施行、成松町となる。
1955年(昭和30年)7月23日 生郷(いくさと)村、成松(なりまつ)町、葛野(かどの)村、沼貫(ぬぬぎ)村、幸世(さちよ)村が合併し町制施行、氷上町となる。
2004年(平成16年)11月1日に氷上郡6町が合併して丹波市が誕生したことにより消滅、旧町域は丹波市氷上町となった。

地 図

周辺情報

石生の水分れ公園・水分かれ資料館
丹波市立植野記念美術館

参 考

「延喜式の調査」さん、他

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