式内 倭文神社(鳥取市倭文)
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概 要
社号 式内社 因幡国高草郡 倭文神社
読み 古 シトリ 現 しとり
江戸時代は「七体大明神」と称していた
所在地 鳥取市大字倭文字家ノ上548-1
旧地名 因幡国高草郡
御祭神 經津主命(ふつぬし のみこと)、武甕槌命(たけみかづち のみこと)
配 武葉槌命(たけはづち のみこと)、大己貴命(おおなむち のみこと)
例祭日 10月9日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
高草郡(タカクサ):7座(並小)
近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳
本殿様式 流造 銅板葺
境内摂社(祭神)
一口メモ
鳥取市倭文の倭文(しとり)神社に向かう途中に前回撮影が不十分だったので中臣崇健神社を再度訪ねた。いつ行っても日差しが入らない森に包まれた神秘さの漂う空間である。
倭文神社は地図で見ると山中にある。鳥居付近で墓掃除をされているご婦人に尋ねると車で上がれるそうだ。引き返して橋に停めていた車を取りに帰り、狭い竹藪をバイパスで軽四に遭遇し、神社参道についた。参道脇にコンクリの道がある。止めようかとためらったが、パジェロミニを借りているのだからと四駆に切り替えて急勾配を登ると境内に着いた。
「倭文」は通常「シトリ」と読むが、「シズリ」「シヅ」と読む場合もあるとか、年輩のお母さんはシズ神社と言っていたような気がする。
歴史・由緒等
【由緒】
創建は不明。延喜式神名帳(えんぎしきしんみょうちょう:927年)記載の式内社。倭人村の氏神で因幡志や社伝によると江戸時代には「七躰大明神」と呼ばれた。(大己貴命に7つの名前があったため)明治元年に再び倭人神社となり、明治4年に村社となる。
神話「稲羽の素兎」の大国主命がこの地から八上姫に恋文(ラブレター)を書いたと伝えられる。(当時は歌を詠んだのだと思われる。)
倭文とは「しづり」とも読み、日本の絹織物のことをさします。3世紀後半から5世紀の新羅系渡来人で、機織物の最新の技術集団の倭文部と呼ばれた人達が住み着いた場所で、このような場所には倭文神社が祀られていました。
大国主命の恋文も「文」の文字や、絹織物の巻物から連想されたのかもしれません。「社頭掲示板」
倭文神社(しとり、しずり、しどり)という名前の神社は日本全国にある。いずれも機織の神である建葉槌命(タケハツチ。天羽雷命・天羽槌雄・武羽槌雄などとも)を祀る神社で、建葉槌命を祖神とする倭文氏によって祀られたものである。しかし、絹織物の技術は仁徳天皇により導入振興されたとされるも、崇神天皇期(10代)にその創始を唱える倭文神社もあり、日本(倭)においていつ頃どこで絹織物が発達したかを考えるうえで、この神社のある場所や由緒は貴重な 資料といえる。(ウィキペディア)
境内・社叢
鳥居 参道
手水舎 拝殿
拝殿・本殿
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